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2023.04.10

2023年4月号 トピックス 行政が「ナッジ」に取り組む意義

特定非営利活動法人Policy Garage
伊豆 勇紀

1.はじめに

 Policy Garage(ポリシーガレージ)は、ナッジなど新たな政策手法の研究やその普及、社会実装に取り組むNPO法人である。官公庁職員や民間事業者、大学の研究者などで運営しており、メンバーはパラレルキャリアで、それぞれ本業を持っている。本業が宮城県職員である筆者は、県庁の働き方改革に取り組む中でナッジに出会い、庁内にナッジを広めていきたいと思ったことがきっかけでPolicy Garageに参加した。Policy Garageでは、自治体から寄せられた相談の個別支援や研修講師などの活動を行い、本業では、その経験も活かしながら、ナッジに取り組む宮城県行動デザインチームMyBiT(マイビット)を設立した。これまでの活動を通して、ナッジは、今注目されているDXも含めて、自治体のあり方そのものを変える力を秘めていると感じている。本稿では、その魅力をお伝えしたい。

 

2.「ナッジ」とは何か

 ナッジとは、「人間らしい意思決定の癖を踏まえて、サービスの利用手続きを簡単にしたり、重要性や魅力を伝わりやすくしたりすることで、本人にとって望ましい行動を自発的に起こせるように促す、ちょっとした工夫」のことだ。例えば、現状の変更よりも維持を好むという人間の傾向を踏まえ、宿直明けの休暇取得を促した取り組みがある。中部管区警察局・関東管区警察局では、かつて休暇申請書にチェックが必要だったが、休暇を取得しない場合にチェックを入れるように変更した(図表1)。これは、サービスを利用する選択をデフォルト(初期設定)にする、という手法だ。ここでは、休暇を取得しない選択から、取得する選択へデフォルトを変更したと言い換えることができる。実際、宿直明けの休暇取得者数などが増えたという結果が出ており、デフォルトの変更により休暇申請の心理的ハードルが下がったことが一因と考えられている。

 

図表1 中部管区警察局・関東管区警察局の休暇取得申請書

(出典)日本版ナッジ・ユニット連絡会議ホームページのイメージ図をもとに筆者作成

 

 また、他人の状況が気になるという人間の傾向を踏まえた、ホームエナジーレポートというものもある(図表2)。この郵便物には、自宅の消費電力量が、近隣や省エネ上手な家庭と電力使用量を比較して記載されている。他よりも使いすぎている場合は、省エネを心がけるよう思わずにはいられないようになっており、これを受け取った家庭は、受け取ってない家庭に比べ、平均2%ほど使用量が減少するとされている。

 

図表2 ホームエナジーレポート

(出典)日本オラクル株式会社「ご家庭の省エネレポート」

 

 この他にも様々なアプローチがあるが、共通しているのは、本来希望する選択肢をとりやすくするために、高額の報酬で誘導するのではなく、人々の価値観や好みを踏まえて工夫するという点だ。イギリス政府がナッジを導入したことから始まり、オバマ政権以降のアメリカ政府も積極的に推進するなど、高い費用対効果が注目され、ナッジは瞬く間に世界中に広がった。また、法律や罰金などで規制せず、選択の自由をしっかり保障する、という特徴もある。近年は、新型コロナウイルス感染症対策として、外出抑制、ソーシャルディスタンスの確保、マスク着用、手指消毒の徹底など、国内では罰則で強要することなく行動変容が求められる場面が増えたことで、ますます注目されることになった。個別の事業効果を高める点でナッジに取り組む意義はもちろん大きいが、さらに以下では、政策形成プロセスへの好影響など、より広い観点から取組効果を考察する。

 

3.デザイン思考によるナッジの実践

 近年、自治体DX推進の文脈で、デザイン思考やサービスデザインという言葉を目にする機会が増えた。デザイン思考とは、見た目や使いやすさという意味よりも広く、「ユーザー(利用者)中心で望ましい体験を提供するサービスを構想し、実現する方法論」のことだ。ナッジは、あくまでも課題の解決手段の一つであり、より有効な手段があるかもしれないし、ナッジ自体が課題になじまないかもしれない。逆説的だが、事前にナッジで課題を解決できそうだとあたりをつけていたとしても、ナッジ以外の解決案も多く出せるプロセスが望ましい。どんなナッジにするかを考える前に、まずは、対象者が行動を起こせない原因はどこにあるのかを見極め、多くの解決案を出す必要がある。また、候補の中からナッジを選択した際には、実際にユーザーの声を聴きながら改善を重ねていく姿勢が重要になる。このようにユーザー中心でナッジを検討・実践するプロセスが、まさしくデザイン思考になる。
 ナッジを検討する際は、行動プロセスマップという手法で目標行動に至るまでの一連のフローを細分化して阻害要因などを分析し、その過程でユーザーの実際の行動を観察したり、インタビューをしたりする。例えば、市民が特定保健指導を受診するまでには、封筒を受け取ってから、受診するまでに多くのステップを踏んでいる(図表3)。横浜市では、この受診率向上のために、行動プロセスマップを作成した上で、対象者に電話聞き取りを行った。その結果、対象者の約8割がそもそも封筒を開けていないことがわかり、他の解決案と比較検討した上で、ナッジを活用した勧奨封筒の改良から着手することにした。このようにユーザーに目を向けなければ、封筒の中身の改善から始まるなど、効果につながらない取り組みになったかもしれない。

 

図表3 特定保健指導を受診するまでの行動プロセスマップ

(出典)自治体ナッジシェア

 

 自治体DXでは、行政手続きの全体像を描き、その中からボトルネックを見つけて、ユーザーの一連の体験をより良いものにするサービスデザインが求められている。システムの導入やウェブサイトの構築は、使ってもらったり、見てもらったりして終わりではなく、ユーザーを次のステップへコンバージョン(移行)させ、最終的な目標行動の達成を支援するものでなければならない。しかし、新規のデジタル事業において、経験なく、そのような手法を実践するのは難しい。特定保健指導の事例からわかるように、ナッジに取り組む意義の一つは、デザイン思考を身近な業務から実践する意識と機会を創出することにある。
 また、有効なナッジを設計するためには、実際のユーザーの声を踏まえて改良を重ねることも重要だ。豪雨災害時の早期避難を促すナッジ・メッセージの検討過程で、広島県では本格導入前に県民向けのアンケート調査を実施した。その結果、「あなたが避難しないと、他の人の命を危険に晒す」というメッセージは、短期的には避難促進効果が高いが、同調圧力や反発を感じる割合も高く、「あなたが避難することで、みんなの命を救う」の方が、長期的に高い効果を持続させることがわかり、後者が導入されることになった。人間には、損失を極端に嫌う損失回避性という傾向があるが、いつでも損失を強調すればよいわけではなく、このように実際のユーザーの反応をもとにした検討が必要だとわかる。
 市民向けの調査まで実施することが難しいケースでも、ナッジを活用したメッセージやチラシを作ったら、関係者数人や周囲の第三者からフィードバックをもらいながら、ブラッシュアップを重ねるプロトタイピングを実施することで、効率的にユーザー目線の事前検証ができる。ナッジに取り組むことは、プロトタイピングのようにアジャイルな業務遂行を経験できる場を増やすことにもつながるだろう。

 

4.ナッジはEBPMのきっかけづくり

 ナッジの効果は、対象者の環境に依存して変化すると指摘されており、海外や他の地域で有効だったナッジでも、同じように効果を発揮するかは試してみないとわからない場合が多いようだ。そのため、実証実験によりナッジが実際に行動変容を引き起こす効果があるか、因果関係を適切に推論する必要がある。この因果推論において、理想的な方法がランダム化比較試験(RCT)だ。これは、対象者を介入群(ナッジを提供するグループ)と対照群(ナッジを提供しないグループ)へランダムに割り振り、介入群と対照群の間で結果を比較する手法だ。例えば、横浜市戸塚区における固定資産税の口座振替促進の事例では、シンプルな案内チラシと手続きに必要な個別情報を送付するナッジの効果を検証するため、RCTが実施された。この事例では、介入群をナッジ提供のグループ、対照群を通常のチラシを送付するグループと何も送付しないグループとしてRCTが実施され、介入群の方が口座振替利用率は高く統計的に有意であったことから、ナッジの効果が確認された(図表4)。このように、政策目的を明確化した上で、因果関係を示す合理的根拠(エビデンス)に基づいて政策立案する考え方を、EBPM(エビデンス・ベースド・ポリシー・メーキング)という。EBPMは、費用対効果の高い政策が求められる今後の行政運営には必須のものだろう。

 

図表4 横浜市戸塚区における固定資産税の口座振替案内チラシとRCTの結果

(出典)三菱UFJリサーチ&コンサルティング、自治体ナッジシェア

 

 しかし、RCTはエビデンスのレベルは高いものの、例えば補助金政策などの財政的手法の場合は、提供有無の違いを設けるため、実施するハードルが高い。一方、ナッジの多くは情報提供の工夫であり、RCTで効果を確認できた後には、全体に提供することを事前に決めておいたり、ホームページで告知したりするなど、公平性や透明性に配慮する手続きの整備も進んでいるため、RCTなどの実証実験に比較的取り組みやすい。何よりEBPMという言葉が全面に出ると、「何だか難しそう」、「効果が出なかったら予算が削られるのではないか」という反応になりそうだが、比較的身近な業務で、大規模な予算が不要なナッジの取り組みは、EBPMのきっかけづくりとして最適だ。筆者が所属するMyBiTでは、まずは職員向けアンケートにおける自由意見の回答数増加の取組効果を検証するために、RCTを実施することから始めた。重要なのは、データで事業の正当性を補強するのではなく、「この取り組みを実施したことで結果が出た」という因果関係だ。内部向けの事業など、まずは小さくてもよいから、効果がない取り組みを続けていないか疑問を持ち、見直すきっかけづくりが必要だ。

 

5.ナッジの推進体制と「働き方」の変容

 ナッジは、あくまで課題解決の手段であり、それ自体を目的化してはいけない。一方、身近な業務改善の手段にもなり得るナッジだからこそ、多くの自治体職員が「自分にも何かできそう」と関心を寄せ、デザイン思考やEBPMも含めてスモールスタートできるという、逆説的な見方もあるだろう。自治体内でナッジの普及や実装支援に取り組むチーム「自治体ナッジ・ユニット」は、ナッジのみならず、デザイン思考やEBPMの推進も担っており、各自治体で政策の変革を先導している。横浜市の有志職員が横浜市行動デザインチームYBiT(ワイビット)を設立したことから始まり、全国の14自治体まで広がった(図表5)。

 

図表5 自治体ナッジ・ユニットの設立状況(2023年1月現在)

(出典)各自治体ナッジ・ユニットへの聞き取りにより筆者作成

 

 自治体ナッジ・ユニットの特徴は、有志性が高いことだ。単なる部局横断プロジェクトとは異なり、実践の過程でインタビューや統計など自分の強みや専門性を活かしたり、伸ばしたりすることに意欲を持つ職員を幅広く取り込んだ「チーム」である場合が多い。MyBiTは、行政経営推進課に事務局を置きつつ、意欲のある職員をメンバーとして公募し、メンバーは業務として月15時間を目安に活動している。有志性と公式性の両方を担保する形態は、北海道行動デザインチームHoBiT(ホビット)や、堺市環境行動デザインチームSEEDs(シーズ)などでも採用されており、これらを参考にしたものだ。特定の部署だけで完結する場合や業務外に活動する場合に比べ、活動時間の制限や本来業務との調整などの課題があり、筆者自身が手探り状態であるが、画一的ではなく多様な背景を持つ職員が参画することで、よりユーザーに寄り添ったアイディアに洗練されるし、それぞれが専門性を活かすことで、サービスや効果検証の精度向上も期待できる。何よりユーザー中心で課題を定義し、解決策を絞り込むプロセスは、特定の部署だけではなく、どんな職員にも求められており、意欲あるメンバーが核となってノウハウを拡散できるのは大きなメリットだ。組織内パラレルワークによる自治体ナッジ・ユニットの運営は、職員と組織がともに成長していけるような新しい働き方の創出にもつながり、不可逆的に広がっていくだろう。
 ただし、有志性の高い自治体ナッジ・ユニットを作るにあたり、メンバーの共通認識が「ナッジが新しい政策手法で費用対効果が高いから」だけでは不十分だ。MyBiTでは、ワクワク感を失わず、意欲的に取り組めるために、メンバーが活動を通して実現したいMy MissionとチームのMyBiT’s Missionとをすり合わせるために何度も議論を重ねた。ナッジを入り口に、どのような政策形成や組織、社会を実現したいかをチームで議論し、メンバーが活動を「自分事」に腹落ちして取り組めるスタートが必要だろう。また、課題の発見や解決策の検討をしていく十分な活動時間を捻出するには、既存業務の効率化も避けては通れない道だ。宮城県では、同じく組織内パラレルワークでExcelマクロの技能を有する職員を「Excelカイゼン隊」として公募し、各所属の業務効率化を支援している。業務効率化にもあわせて取り組むことで、自治体ナッジ・ユニットの活動もより力強くなっていくだろう。

 

6.ナッジが自治体同士をつなぐ

 かつては企業誘致を巡る苛烈な補助金争いなど自治体間競争も激しかったが、少子高齢化・人口減少の他にも、デジタル化、大規模災害や感染症対策など、社会課題は複雑化してきており、自治体間で効果的な手法の知見を共有していくことが重要性を増している。その中で、ナッジは、自治体同士をつなぐ大きなテーマだ。宮城県では、300人を超える市町村・一部事務組合・広域連合向けの行政ナッジ勉強会を開催した後、さらに意欲を持つ市町村職員等とMyBiTのメンバーにより、ナッジの実践をテーマとしたグループワークを実施した。ナッジの普及が進めば、複数の自治体をフィールドとした協働の実証事業も増えていくだろう。
 筆者が所属するPolicy Garageには、当初は横浜市職員向けに開催していたYBiTの研究会に他の自治体職員も参加することで、その輪が全国に広がり、ネットワーク型のNPO法人としてスピンアウトした流れがある。YBiTの活動から通算して月例研究会46回、研修・講演130件、事例支援80件を実施しており(2023年1月現在)、特にオンラインの月例研究会には、約100名の参加者がナッジの知見をリアルタイムで共有できる機会になっている。メンバーは、海外や日本全国に散らばりながらも、チャットツールのSlackなどを活用し、日頃から各案件の相談や情報共有を密に行うことで、活動を円滑に進めることができている。
 また、Policy Garageでは、大阪大学社会経済研究所・行動経済学会と連携して、異なるウェブサイトに散らばった優良記事を分野ごとに整理し、実践者が苦労したり、工夫したりした経験を投稿できるウェブサイト「自治体ナッジシェア」を運用している。人間には、選択肢や情報が多すぎると、取捨選択が困難になり、意思決定自体が困難になる傾向がある。筆者自身、ナッジに興味を持ってインターネットで検索したが、膨大な情報の中から有効なフレームワークや、担当分野の事例を見つけるまでに苦労したことがあり、まさに選択・情報過剰負荷の状態だった。自治体ナッジシェアは、そのような経験に基づいて、研究会に参加する自治体職員からフィードバックももらいながら、アジャイルに構築を進めるデザイン思考のアプローチにより、Notionというワークスペース上で徐々にコンセプトを具現化していったものだ。ナッジの取り組みは、各自治体でまだまだ試行錯誤が多い。だからこそ、ウェブサイト名に込められた「自治体職員によるナレッジシェア(知見の共有)」という意味のとおり、自治体職員が協働してナッジを学び合い、実践とフィードバックを重ねることで社会課題を解決していくことの意義は大きいだろう。

 

7.まとめ

 ここまで紹介した働き方や自治体間の変化の本質は、ナッジを活かした政策形成からアナロジーで考えることができる(図表6)。それは、市民のみならず自治体職員も含めて、人間に本来備わっている、社会に貢献しようとしたり、目的を達成しようとしたりする力を尊重し、全体としてその力を最大限発揮できるように環境を整える点だ。ナッジは、これまで当たり前とされていた管理や義務とは異なる手法により、人間の力を大きく解き放てる可能性を気付かせてくれる。今後、ナッジをきっかけに、一人でも多くの方とともに、人間を起点として、より良い政策、組織、社会を探求し、その実現に向けて取り組んでいけたら幸いだ。

 

図表6 Policy Garageや自治体ナッジ・ユニットにおける人間起点アプローチの整理

(出典)筆者作成