行政&情報システムOnline

無償

2026.03.02

2026年3月号 北欧諸国のイノベーショントレンドno.16 2026年3月号 連載企画 北欧でイノベーションが創発し実装される仕組み ~境界なき脅威に対応するレジリエンス:フィンランドの包括的安全保障NESA 注1 に学ぶ官民連携の潮流~

5.市民そのものを「戦略的資産」に変える訓練とシェルター文化

 フィンランドの強靭性は、ハードウェア(備蓄やインフラ)だけでなく、市民が参加するという「ソフトウェア(クワトロヘリックス・システム)」にも深く宿っている。

「72時間」の自立という契約
 フィンランド政府は市民に対し、「最低72時間は政府の助けなしでの自力生存」の準備を強く推奨している。これは「公助」の限界を認めているのではなく、むしろ「公助」を真に必要とする場所(重傷者、高齢者、重要インフラの復旧)に集中させるために、健康な市民が果たすべき「責任」として位置づけられている。
 家庭での水、食料、予備バッテリー電源、ラジオ、衛生用品の備蓄は、個人生活の安心だけでなく、国家全体の回復力を高めるための「防衛への参加」として捉えられている。この市民の自立心が、行政の負担を劇的に軽減し、危機対応の初動をスムーズにする。

生活に溶け込むシェルター文化
 フィンランドには、全人口の約87%を収容可能な約50,500箇所のシェルターが存在する。しかし、これらは使用時期が不透明な施設ではない。建築基準法によって一定規模以上の建物にはシェルター設置が義務付けられており、平時はそのほとんどが地下駐車場、スポーツジム、温水プール、音楽スタジオとして活用されている。市民は子供の頃から、学校のジムが有事にはシェルターに変わることを知っており、日常的にその空間を利用している。この「多目的利用」のデザインが、莫大な維持コストを公共の利益に変換し、有事の際の避難行動に対する心理的ハードルを低くしている。そして、普段の遊び場がシェルターであるので、避難訓練をしなくても自分と家族、近所の高齢者や障害者をスムーズに避難誘導することも可能となる。シェルターを「死んだ資産」にせず、日常の「豊かなインフラ」として包括的な視点で利用する知恵がここにある。

心理的強靭性とメディアリテラシー教育
 現代の戦争において、戦場は「物理空間」から「認知空間」へと拡大している。フィンランドが包括的安全保障の第7の柱に「心理的強靭性」を置いているのはそのためだ。フィンランドでは小学校から、フェイクニュースの見分け方や、情報がどのように操作され、社会の分断を煽るのかを学ぶ教育を実施している。他国からのプロパガンダに対して、政府が検閲で応じるのではなく、国民一人ひとりの「批判的思考力」という知恵で対抗する。国民が政府やメディアを信頼し、自分たちの社会を守る価値があると信じていること、この「社会的信頼」こそが、ハイブリッド戦に対する最強の防壁となっている。蛇足であるが数年前にフィンランドを含め北欧がスマートシティやスマート社会においてレベルが高く、日本でも北欧モデルを参考にした様々なプロジェクトが推進された。しかし、上記の通り社会システムにおける根源的な精神、市民をも戦略的資産として位置づける哲学や具体的な法制度や組織、システム体系を理解しなければフィンランド型の高度かつレジリエンスな都市など容易に模倣できないことが分かると思う。

 

6.日本への示唆:包括的な防災庁の創設にむけて

 現在、日本でも「防災庁」の設置や経済安全保障の強化が急ピッチで議論されている。日本の真のレジリエンス体制を構築するために、フィンランドの事例から参考となる点をまとめてみた。
1.縦割りの克服と「オールハザード」対応への転換
 日本の危機管理は、地震、台風、火山噴火、水害、テロ、感染症といった「原因別」の対応に分かれがちだ。しかし、社会が受けるインパクトは共通している。エネルギーの途絶により電気が使えない、食料が届かない、資金決済ができないなど、私たちは「原因」を問わず、「社会機能の維持」に注力した目的志向の体系を構築するべきであろう。新設される防災庁、あるいはそれに関連する組織は、災害救助の司令塔にとどまらず、NESAのように「平時から民間サプライチェーンの強靭化を統括する権限」と「独自財源」を持つことが必要となるだろう。

2.民間セクターへの「実利」を伴うインセンティブ設計
 日本企業に対し、備蓄や訓練への参加を「社会貢献(CSR)」として求める時代は終わっている。NESAの「プール制」を参考に、参加企業に対する具体的なインセンティブを再設計する必要がある。
・税制優遇:レジリエンス強化に投資した企業への法人税減免
・政府調達の要件化:高レジリエンス基準を満たす企業を公共調達で優先する。
・インテリジェンスの共有:参加企業限定で、政府が持つサイバー脅威情報を提供し、企業の事業防衛を支援する。「安全保障への貢献が企業の競争力と利益に直結する」環境を構築することこそが、持続可能な官民連携の鍵となる。

3.自治体とコミュニティの「自律化」
 フィンランドの事例は、中央集権的な危機管理の限界も示唆している。地方自治体は、政府の指示を待つだけでなく、地域内のITインフラ、再生可能エネルギーによる自立電源、地元の物流業者とのネットワークを自律的に維持する能力が求められる。日本の地方自治体においても、地域版NESAのような「地域供給保障協議会」を組織し、平時から地元のスーパーや運送業者と「有事の融通」を契約ベースで固めておくと良いだろう。これは地方創生と安全保障を両立させる、新しい地域の形となり得る。