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2024.02.01

2024年2月号 連載企画 デンマーク・デジタル社会の全貌No.12 北欧の知恵を活用して社会実装に結び付ける-4 ~包括的アプローチを主導する北欧型人材~

三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社
調査・開発本部 ソーシャルインパクト・パートナーシップ事業部
社会イノベーション・エバンジェリスト
中島 健祐

1.ホリスティック(包括的)アプローチとは?

 デジタル社会を実現するために「北欧の知恵を活用する」シリーズも今回で最終回となった。「行政のデジタル化とサービスデザイン」、「社会システムにおける信頼の構築と運用」、「トリプルヘリックス(北欧型産官学連携)の本質と価値」について紹介し、北欧の知恵を日本社会に実装する際の可能性について解説してきた。そして今回はこれらの体系を活用する上で重要な、しかしデジタルインフラ基盤のようなシステムではなく、社会で共有されているある意味文化的なプラットフォームとそれを支える北欧型の人材育成について取り上げる。デジタルに直接関係したものではないが、北欧のデジタル社会を根底から支える仕組みであり、本質的で肝要な要素である。デンマークに限らず北欧諸国とスマートシティやエネルギー関連プロジェクトで協業すると、打ち合わせの中で何度か「Holistic(ホリスティック)」という言葉を耳にすることがある。日本語では「全体論的な」、或いは「総体的な」となるが、個人的には社会システムの文脈で「包括的な」という表現が合っているように考えている。このホリスティックが北欧社会で日常的に意識されている背景として、北欧は自然環境が厳しく、限られた人口規模の小国では資源を最大限有効に利活用することが過去からの習慣として身についていることがある。オープンイノベーションが革新的ビジネスモデルや新たな技術を導くために、体系的にアプローチされるのに対し、ホリスティックは具体的な方法論やシステム形態がある訳ではない。北欧の社会デザイナーやデジタルエンジニアに、「ホリスティックとは具体的に何か?ホリスティックなシステムを再現するためのアプローチ方法について教えて欲しい」と聞いても明確な答えは期待出来ない。中にはシステムダイナミックスにより要素間の因果関係を数値シミュレーション化して分析して提示する研究者もいるが筆者が関係している一般的なビジネスパーソンは、どちらかといえば感覚的に、北欧社会にしっかり根付いているちょうどコンピュータのBIOS(Basic Input Output System)のように基層的な考え方として使っているように感じる。しかし、このホリスティックという考え方は、実は私たち日本人が本来持ち合わせていた感覚でもある。東洋医学では西洋医学とは異なり肉体、精神、心の総体として人間を捉え、全体的に調和が崩れたところから病気の原因を突き止め自然治癒力で対処するという形態をとる。現在、西洋医学が主流となり実証的、科学的なアプローチが主流であるが、これは総合的、全人的な観点とは真逆である。それぞれにメリット、デメリットがあるので一概には評価出来ない。病気など人命に関わる医療では、客観的データに基づいた論理的な処置は重要である。一方街づくりや社会システムでは従来のような縦割り組織や限定領域での個別最適ソリューションによる弊害が取り上げられており、ホリスティックな考え方の重要性が増していると考えている。

 

2.デンマークのホリスティック(包括的)プロジェクトの事例

 それではデジタルな社会システムや街づくりで、ホリスティック(包括的)とはどのようなものなのだろうか?概念論だけでは分かりづらいのでデンマークにある有名な施設を通じて、ホリスティック(包括的)の意味を考えてみたい。取り上げるのはコペンハーゲン中央駅から約5キロの開発地域にあるアマー資源センター、通称COPENHILL(コペンハーゲンの丘)と呼ばれる施設だ。これは建物の形態がユニークだが廃棄物発電所と人工スキー場を融合した世界でも初めての取り組みである。トヨタのウーブンシティのデザインを担当する、世界的なデンマーク人建築家ビャルケ・インゲルスのBIG(ビャルケ・インゲルス・グループ)がデザインしたことでも知られている(写真1)。

 

写真1 COPENHILL

(出典)Astrid Maria Rasmussen, Copenhagen Media Center

 

 デンマークは2050年に化石燃料に依存しないことを目指すエネルギー戦略2050を策定しており、コペンハーゲンは2025年に世界で初めてのカーボンニュートラル首都になることを目指している。それにはエネルギーの効率的な利用が不可欠である。デンマークでは廃棄物を焼却する際に生まれる熱で温水を生成し、ビルや住宅に暖房を提供する地域熱暖房が普及している。廃棄物と二酸化炭素排出量を減らし、廃棄物そのものをエネルギー源として再利用することで熱と電気を生み出すということが考えられた。コペンハーゲン市では年間40万トンの固形廃棄物が排出される。COPENHILLではそれを燃焼することにより、157〜247MWの地域熱供給能力で16万世帯に熱を、0〜63MWまでの発電で62,500世帯に電気を供給することが可能になっている。エネルギー効率も90%以上であり世界で最もクリーンな廃棄物発電所である。通常、廃棄物発電のような施設はNIMBY(Not in my back yard:ニンビー)と呼ばれ、社会的には必要なものだが、自分たちの生活圏の近くには建てないで欲しい施設であることから、再開発地域や市民生活から離れた場所に建設されることが多い。そのためコストと効率性を重視することから建物は無味乾燥な箱型になる。しかし、このプロジェクトのオーナーは発想を転換し、建物を競争入札形式として革新的なアイディアを募ることにした。その結果選定されたのがビャルケ・インゲルスのBIGである。ビャルケはかねてより創造的なプロジェクトを生み出すことに情熱を燃やしており、このプロジェクトでは「コペンハーゲンに本物の山をつくってしまおう。そして単なる山ではなくそこにリゾート機能を組み合わせ、楽しみながら脱炭素に貢献するシステムを実現しよう」と提案した。デンマークはパンケーキといわれる平坦な土地であり、そもそも山がない。一番高い山(丘)でも171mである。従って首都であるコペンハーゲンに脱炭素に貢献する廃棄物発電所 + スキーリゾート + コペンハーゲンの丘をつくれば象徴的な施設になると考えた。そうした取り組みが世界的にも認められ、2021年にCOPENHILLが世界ビルディング・オブ・ザ・イヤーにも選定されている(写真2)。
 さて、ここからが本題であるが、このCOPENHILLにどのような形態でホリスティック(包括的)なアプローチが取り入れられたのかについて触れてみたい。通常、先進的な廃棄物発電となると革新的な先端エネルギー技術を導入し、純粋に高い発電効率と低い二酸化炭素排出量により地域の脱炭素化に貢献するという、技術や機能面に主眼を置いた施設になる。しかし、前述した通りCOPENHILLは最先端の廃棄物発電に加え、市民向けの都心リゾート施設でもある。まずここからしてどちらかというと相反する概念を一つのコンセプトで統合しているという点で、常識的ではない全く新しい価値横断的なアプローチが採られている。これにより当初想定していなかった効果も生み出した。例えば、COPENHILLの新しい価値創出で周辺の再開発地域が注目されるようになる。周辺の賃貸物件の価格が上がることで不動産価値が上昇する。これは地域住民や不動産所有者からすると資産価値が高まることになり、行政にとっても固定資産税の増収効果が見込めることになる。そして、NIMBYといわれる廃棄物発電所と人工スキー場としての都心リゾート施設が組み合わさることにより、これまでにないスマートシティ事業を研究するため海外からの視察が増える。デンマーク都市デザインへの期待も高まり、デンマークの建築会社やデザイン企業に新たな事業機会をもたらすことになる。そして、当然この施設にはコペンハーゲンの子供たちが社会見学で訪問する。デンマークでは自分で考える教育が重視されていて、子供たちが実体験を通じて学ぶことを大切にしている。読者の皆さんも小学生時代を思い出して欲しいのだが、恐らく地元の浄水場、ゴミ焼却場、発電所などを見学したことがある筈だ。しかし、大人になってみて見学した内容は殆ど覚えていないし、そもそもこれら重要な社会インフラが行政と市民生活にどのような関係性で社会的価値を提供しているのかについて考えたことは少ないのではないか。もちろんこのCOPENHILLを訪問したからといってコペンハーゲンの子供たちがすぐにエネルギー問題を考え、環境問題に敏感な市民になるとは限らない。しかし、以前筆者がコペンハーゲン市の関係者と会話した中で出てきたものとして印象に残っているのは以下のコメントだ。「COPENHILLで社会見学をしてスキーを楽しんだ子供たちが20年後、ビジネスリーダーになった時に、ここはコペンハーゲンの脱炭素政策において重要な機能を提供していた施設であると学び直してもらえれば良いのです。そこから環境やエネルギー問題を考え、持続可能な社会システムとはどのようなものであるべきなのか?ということを考察し、行動してくれるような人材になってもらうことが狙いです。そのためにも社会見学と共に楽しい思い出としてしっかりと記憶してもらうことが重要なのです」と言っていた。つまり、脱炭素のために廃棄物を無駄にしてはいけないというような、一方的な教育目線ではなく、出発点は楽しい遊びから入り、しかし裏側には将来の環境知性を育てる仕組みが実態として組み込まれているということがポイントなのである。このようなCOPENHILLの役割をまとめてみると図1のように、①廃棄物を活用した先進的な発電所として、コペンハーゲンのエネルギー政策であるCPH2025 CLIMATE PLANを支える施設であり、②人工スキーリゾート機能により、新しいスマートシティ、パブリックデザインとしてデンマーク&コペンハーゲンのプロモーションに資することになる。そして、視察の増加やスマートシティ関連投資の増加により地元経済に資するロケーションとなる、③さらにCOPENHILLを社会見学した子供たちが、将来環境に配慮した脱炭素型社会システムを構築する際の環境知性を育む、長期視点に基づいた教育センターとしての役割を有することとなる。④これらの要素をまとめることで、コペンハーゲン市全体の新しい価値創出と市民のウェルビーイング向上に繋げるという仕組みである。このように複合的に異なる視点を統合して多様性に基づいた価値を創造する仕組み、そのために視野を広げ横断的な取り組みでマイナスの価値をプラスに転換してしまうこと。これを実行する基盤がホリスティック(包括的)なアプローチなのである。

 

図1 アマー資源センター(COPENHILL)における包括体系

(出典)著者作成

 

写真2 アマー資源センター(COPENHILL)の屋上から見た風景

(出典)著者撮影

 

3.ホリスティック思考を育てるデジタル人材育成の取り組み(Education Esbjerg E.1)

 次にデンマークで進められている先進的な教育プログラムとデジタルを活用した社会システム構築の関係性について触れてみたい。デンマーク・ユトランド半島の西側にある都市エスビャウは人口約11万人のデンマークでも5番目に大きな自治体である。最近はエスビャウ港が洋上風力発電の基地港湾としても知られており、日本からも多くの洋上風力発電関係の技術者がこの地を視察で訪問している。このエスビャウ市は将来の発展と成長に向けた野心的な都市開発プランである「ビジョン2025」を策定した。ビジョン2025では市民のより良い生活を実現するために様々な取り組みがある。例えば、持続可能なエネルギー都市の実現、また同地は海底ケーブルの陸上げ拠点でもあることから、北欧のデジタルハブとなりIT分野の成長を促進することを掲げている。そのために教育を強化し、市民を含めた関係者が熟練した高度な労働力を提供することで人口を増やすことを狙いとしている。デジタル社会環境を最大限活用し、起業家がイノベーションを実現する。観光地としてもデンマーク国内で有数のエリアになるとしている。その意味で全ての起点としてデジタルを利活用した人材教育が重要となることから、国の教育システムに必ずしも依存しない、全く新しい教育システムを構築する計画を立てている。「教育エスビャウ:別名E.1」という、福祉、ビジネス連携、デジタル化に焦点を当てた新しい方法で教育を再考する取り組みである。複雑で不確実な世界で価値を創造し、最適な選択をするにはどのようにしたら良いのかを研究するという。この教育プログラムはグローバルな視野、高い志、全人的な視点を持って、教育の役割と形態を見つめ直す全く新しい教育概念であるとしている。Eは教育(education)、エネルギー(energy)、共感(empathy)、エコロジー(ecology)、平等(equality)を表している。このE.1のキャンパスを現在構想しているのも、前半で紹介したビャルケ・インゲルスが率いるBIGだ。E.1キャンパスはハイブリッド ソリューションにより、物理的な距離を超え学生、教師、共同研究者が一緒に学習をサポートし、有意義な学生生活を生み出すデジタル学習空間をつくるとしている。E.1は、エスビャウ・ストランド地区に建築され、メインキャンパスの珍しい形状は、場所によっては7階建ての高さまでそびえ立つ尖った階段状の壁があり変化に満ちている(写真3)。敷地の課題に対応するために形状が計算されており、風による負荷を軽減する。近隣の港湾からの騒音を最小限にし、室内の光と視界を最大限に確保する設計となっている。このプロジェクトはBIGによって「建物の中の都市」と表現されており、その内部は実際に約90,000平方メートルの巨大なものとなる予定である。そして、風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギーを利用して送電網への電力供給を削減し、建設にはリサイクルされた材料が使用される。国連SDGsの17目標のうち11を達成する予定だ(図2)。このE.1教育施設の完成予定時期についてはまだ発表されていないが、このプロジェクトは観光施設や起業家向け施設を備えたエスビャウ地域を再開発する大規模な計画の一部となるらしい。

 

写真3 EDUCATION ESBJERGの外観

(出典)BIGホームページ https://big.dk/projects/education-esbjerg-12538

 

図2 EDUCATION ESBJERGの包括的価値

(出典)BIGホームページ https://big.dk/projects/education-esbjerg-12538

 

 このようにデジタル先進国であるデンマークでは、もはや単純にデジタルを強化することやデジタル社会の実現そのものは目標ではない。ましてや教育でもデジタル人材を育てるという狭い視野ではなく新しい時代に対応し、包括的視点を有した価値創造型人材育成が基本となっている。デンマークではデジタルはあくまでもツールという考え方が政府を含めて徹底されている。このエスビャウの例でも、デジタルハブになることは一つの指針ではあるが、それはゴールではなくデジタルを梃子に地域全体の成長と発展を実現し、そのための多様性に満ちた人材を育てるということこそが最終的な目的地になっている。ここでもホリスティック(包括的)かつ大きな枠組みで社会的事象を捉えていることが理解出来ると思う。
 これまで4回にわたり「北欧の知恵を活用する」シリーズを連載してきた。3年前から次世代型社会システム構築において、デンマークだけではなくフィンランド、スウェーデン、ノルウェー、エストニアなど他北欧諸国との連携を深めている。例えばフィンランドとは循環経済モデル、スタートアップ、エネルギーミックス、スマートビルなど複数のプロジェクトを組成している。そしてどのプロジェクトにおいても「デジタルを戦略的なツール」として組み込んでいる。読者の皆さんにもデンマーク以外のユニークで革新的な取り組み事例を紹介出来ればと考えているので、次回から北欧全体に視野を広げたイノベーション事例を紹介していきたいと考えている。

 

中島 健祐(なかじま けんすけ)
三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社 調査・開発本部 ソーシャルインパクト・パートナーシップ事業部 社会イノベーション・エバンジェリスト
デンマーク外務省投資局を経て現職。ビッグデータ、IoT、人工知能、ロボットといった先端技術を利用したスマートシティやデジタルガバメントなど社会システム全般に関するコンサルティングと企業向け成長戦略策定支援が専門。また通常のコンサルティングに社会デザイン、デジタルデザイン、人間中心デザインの要素を統合した新規事業開発を推進するなど幅広いテーマに従事。