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2020.06.10

2020年06月号特集 エストニアITサービスの高齢者利用実態調査―80%超の高齢者がデジタルサービスを使いこなす”電子国家”はどのように誕生したのか―

SetGo Estonia OÜ Co-Founder 齋藤 アレックス 剛太
メロウ俱楽部 副会長/NPOブロードバンドスクール協会 理事 若宮 正子

1.エストニアと日本の意外な共通点

エストニア。バルト三国の北端に位置する人口132万人の小国は、しばしば「電子国家」と称される。1991年にソ連から念願の独立を果たしたエストニアでは、独立直後から推し進めたデジタル化政策が功を奏し、国民の98%(※1)e-IDカード(エストニア版マイナンバーカード)を保有。国民一人ひとりに生年月日などと紐付いた11桁のユニークな番号が割り振られており、行政手続きは99%がオンラインで申請可能となっている。

同国の電子政府サービスの一つの特徴が、その「網羅性」にある。行政手続きとしては、2000年代にいち早く電子確定申告(e-Tax)の提供を開始すると、2005年には世界で初めて国政選挙に電子投票を導入し、現在では結婚・離婚・不動産登記を除く全ての申請をオンライン化している。また民間サービスとも連携を強化し、銀行のログイン時の認証手段としてe-IDカードによるログインを実装したり、スーパーマーケットのポイントカードとしてe-IDカードを利用できるようにしたりと、日常のあらゆるシーンでe-IDを利用することを可能にした。勿論これには10年以上の月日を要している訳だが、この網羅性こそが、エストニアを「電子国家」たらしめている大きな要因であろう。

一方で、実際にエストニアに足を運んでみると、現地生活の素朴さに拍子抜けする人が少なくない。街中に自動運転車やドローンが行き交っている訳ではなく、世界遺産にも指定されているオレンジ屋根が特徴的な旧市街や、豊かな自然が印象に残る。これは、同国の電子政府サービスが生活に溶け込んでおり、目に見えない形で利用されていることを示しているものだと理解している。
実はエストニアと日本は、少子高齢社会という共通点を持っている。高齢化率は19.6%(※2)と、日本の27.6%に近い水準となっており、人口減少・働き手の不足が社会課題となっている。更に、冬は暗い上に厳しい寒さが待ち受けている。日照時間が約6時間となり、最低気温はマイナス20度に至ることもある。

図1 冬のタリン旧市街の様子

(出典)筆者撮影

また、エストニアの国土は、約45,000kmと九州地方(沖縄県含む)の大きさであるのに対し、人口約132万人は沖縄県と同等程度であり、人口密度が低い。更に首都タリンには人口の1/3に相当する約44 .4万人(※3)が集中しており、地方部の過疎化が社会問題だ。このような人口減少、地方の過疎化、厳しい冬の気候といった逆境が、行政サービスのデジタル化需要を高めたと言われている。
本調査は、そんな同国の高齢者のIT利用実態を解き明かすことを目的に、筆者と世界最高齢のプログラマー・若宮正子さんによって2019年に実施した。若宮さんは、80歳からプログラミングを開始し、その取り組みがApple社のCEO、ティム・クックにも紹介されて一躍脚光を浴びた、世界最高齢のプログラマーだ。
調査は英語・エストニア語のWEBアンケート方式で実施し、エストニア在住で60歳以上の高齢者を対象とした(代理回答も可)。現地エストニア人の協力も得て、2019年10月に100人の声を集めることができた。
なお、想定されるサンプリングバイアスとしては、回答をWEB上に限定しているということから、自身ないしは一次の関係者が必ずデジタル利用者であるという点、またロシア語のみを話す高齢者は自力で回答不可であるため、同国の約25%を占めるロシア語話者の声を十分に拾えていない可能性があるという2点が想定されている。
(※1)出典:https://e-estonia.com/solutions/e-identity/id-card/
(※2)出典:https://www.globalnote.jp/post-3770.html
(※3)出典:https://news.err.ee/1018261/tallinn-in-numbers-2019-5-025-new-residents-4-550-births-and-one-snail

2.8割超の高齢者がデジタルサービスを使う国

結果は衝撃的だった。日常的にインターネットを利用していると回答した高齢者は全体の82%にのぼり、利用サービスとしては、上位からEメール、WEBサイトの閲覧、SNSが挙げられた。デバイスの普及率を問う設問(複数回答可)でも、個人用PCが73%、スマートフォンが59%、携帯電話(ガラケー)が42%、タブレットが27%と続き、多くのシニアが自分専用の端末を所有していることが判明。デバイスを全く所有していないと回答した方は、僅か2%だった。

図2 エストニア高齢者のデジタルデバイス使用率

(出典)筆者作成

また、同国の電子政府サービスを利用している高齢者は、84%にのぼった。サービス別利用実態としては、1位がオンラインバンキング(ログインや認証時にe-IDカードを使用)、2位が電子署名、3位が電子確定申告(e-Tax)と続き、日常的に利用することが多い民間サービスが上位にランクインした。なお、「電子政府サービス」とは、エストニア政府がオンライン上で提供している電子申請サービスや、政府が提供しているe-IDカードと連携しているデジタルサービスのことを指しており、その一覧は、同国のe-Governance Academy発行のエストニア政府の公式ガイドブック『e-Estonia: e-Governance in Practice』 から参照している。

図3 電子政府サービス別利用率

(出典)筆者作成

興味深いのは、電子政府サービスの利用率に関して、回答者属性間で大きな差が見受けられなかった点だ。性別では、男性84.6%に対して女性が84.9%とほぼ同一。居住地別では都市部81.6%に対して地方部86.3%と、過疎化が進む地方部が僅かに勝った。また回答方法別では、本人回答が93.3%に対して代理回答が76.4%となったが、WEBアンケートを自力で回答できるようなITリテラシーを持つ高齢者が電子政府サービスを利用するのはごく自然なことであり、一方で家族や知人による代理回答者であっても76.4%にものぼる高齢者が電子政府サービスを利用していることに驚きを覚える。
一方で、年齢と利用率には大きな相関が見受けられた。今回の調査では、60-64歳の利用率が100%であったことに対し、年齢が上がるにつれて右肩下がりで利用率は下がっていき、85-89歳の利用率は50%だった。それでも、半数以上の後期高齢者がITを活用している点は、さすが電子国家と言ったところだろう。
全体として当初の予想を遥かに上回る利用率となり、改めて高齢者であってもデジタルサービスを利用することが可能であることを確信した次第だ。

図4 年代別の電子政府サービス利用率

(出典)筆者作成

3. 高齢者であっても、役所で待つのは嫌なこと

とはいえ、エストニアでも当初はデジタルサービスが根付かなかった。e-IDカードの取得が義務付けられた際も、使いみちが分からず、車の窓の雪かきに使われていたほどだという。なぜ、エストニアの高齢者は電子政府サービスを利用するようになったのだろうか。
利用者に対して、デジタルサービスを利用する最大のメリットを問う設問では、「時間を節約することができるから(60%)」と、時間を一番の理由として挙げた。一般的に時間に余裕がある高齢者が「時間」を動機として挙げているのは、興味深い。
思うに、役所の待ち時間というのは誰にとっても苦痛なものである。自分の番号が来るまで常に案内板に気をかけ、ようやく自分の番が来たとしても書類の確認などで更に待ち時間が発生する。時間に余裕がある高齢者といえども、辛いものがあるのだろう。
今年85歳の誕生日を迎える若宮さんは「人生で残された時間は若者より私達の方が僅か。その僅かな残り時間を、役所の待ち時間に捧げたくないのよ」と一言。妙に納得してしまった。
また、次点で「外に出歩く必要がないから(23%)」と続いている。

図5 デジタル化による恩恵

(出典)筆者作成

前述したように、エストニアでは地方の過疎化が進んでいる。地方部では最寄りの役所までのアクセスが悪いため、そもそも役所に行く必要がない電子政府サービスの恩恵は計り知れない。とはいえ前述したように、現在では電子政府サービスの利用率に関して、地方部・都市部間で大きな差は見受けられず、都市部であっても「不要な外出を行いたくはない」という動機から、高齢者のデジタルサービス利用が進んだと推察される。
また、「アナログの手続きよりも簡単だから(15%)」という回答もあった。一般的にデジタル手続きの方が複雑なように捉えられがちだが、フリーフォーマットが中心の手書き申請に比べて、デジタル申請では入力内容を提出前に申請内容を簡易的にチェックするバリデーション機能を実装することができる。加えて、エストニアにはワンスオンリーの原則があり、既に一度入力した情報は、本人の同意に基づいて参照することが可能だ。つまりデジタル申請では、そもそも入力の手間すら軽減してくれるのである。このような機能は、日本のマイナポータルでも既に実装されており、今後の利用浸透が期待できる。

4. 家族からのサポートがデジタルデバイド解消に有効

では、エストニアの高齢者はどのようにデジタルデバイスやサービスの利用方法を習得したのだろうか。
電子政府サービスを利用している高齢者を対象者とした設問(複数回答可)では、「自己学習」や「家族から学習」と回答した高齢者が大半を占めた。この背景にあるのは、説明書が不要なほど分かりやすいUI/UXであろう。高齢者であっても迷わずに利用できるシンプルなデザインであれば、自己学習でも十分習得できることが推察される。

図6 デジタルサービス利用者の学習方法

(出典)筆者作成

また、家族のサポートも不可欠だ。高齢者にとって、最も身近なデジタルサービスの利用者は家族である。慣れないデジタルサービスを利用する初期段階において、家族のサポートによって走り出すことで、後の自走体制(独学)に進むことができるのだろう。
高齢者がデジタルサービスの利用方法を習得すれば、物理的に役所や施設に出向く必要がなくなる。すると、免許非保有の高齢者や免許返納後の高齢者を家族が送迎する必要もなくなり、家族の負担は軽減するだろう。若宮さんも「家族に頼りっぱなしという状況に申し訳なさを感じている高齢者は多い。自分でできることを増やすことは、高齢者のメンタ
ル面にも良い影響がある」と語る。
非利用者の声にも耳を傾けてみると、電子政府サービスの非利用者(全体の16%)の中で、「可能であればデジタルサービスを使ってみたい」と回答したのは75%。非利用者であっても、周囲の様子からデジタルサービスが日常の利便性や幸福度を向上させる一助になることは理解できている模様だ。一方で、「使ってみたい」と回答した非利用者の92%が「利用方法の習得」を障壁として挙げており、そういった点でも周囲のサポートは重要であることが伺える。
なお、エストニアでは、90年代後半から国民へのIT教育プログラム「タイガーリーププログラム」を政府が提供してきたが、今回の回答では利用者は僅か2%のみに留まった。

5. シニアtoシニアへの学習エコシステム

ここからは、日本におけるデジタルデバイド解消施策について2点言及したい。
1点目は、デジタル学習を支援するエコシステムの構築が必要であるという点である。上述した通り、エストニアでは家族からデジタルデバイスやサービスの使い方を習得した高齢者が多い。ただし、エストニアを始めとするヨーロッパにおいては、日本よりも家族との時間を重要視するように見受けられ、家族での結びつきが比較的希薄な日本に、この考え方をそっくりそのまま適用するのは難しいように思える。
しかしエストニアにはなく、日本にあるコミュニティがある。それが「老人会」だ。現地での調査時、若宮さんが現地でコンタクトを試みたが、エストニアには日本の老人会に当たるコミュニティが活発に動いている様子はなかった。日本では家族など縦の繋がりもそうだが、老人会など同年代の横の繋がりが強いように思う。何より、物理的な枠組みを超えて、デジタル上で活動する老人会も存在する。若宮さんも、ネット上で活動する全国ネットのコミュニティ「メロウ倶楽部」に所属して以来、デジタルに関する知見を深めていったという。
デジタルサービスは総じて初期設定の難易度が高く、若宮さんも初めてパソコンが届いた際に設定を完了するまで1ヶ月を要したという。タブレットやスマートフォン、そしてスマートスピーカーにおいても、複雑な初期設定を済ませてしまえば、日常的に使うサービスを反復利用するうちに習得することは可能だろう。そのため、地域の高齢者がデジタルデバイスを購入した際や、デジタルサービスに登録する際の初期設定を支援する「IT支援員」の制度を設ければ、高齢者のデジタル利用のハードルは下げることが期待できる、と若宮さんは提言する。
IT支援員制度下においては、若宮さんのようなITに馴染みにある方が、地域や老人会などで比較的ITに慣れている方にレクチャーを行う。その参加者が操作方法を習得することができれば、コミュニティ内でその知識を共有することができ、高齢者内のエコシステムを形成することができるだろう。このように、学習をサポートする枠組みを整備することが、デジタルデバイスの解消に繋がっていく。

6. 洗濯機はデジタルデバイドを生んだのか

2点目は、高齢者の課題をベースに設計された利便性の高いサービスの提供である。「高齢者のデジタルサービス利用促進」というと、どうしても難しく聞こえてしまうが、ここで、約70年前のイノベーションを例に出してみたいと思う。
かつて洗濯機が出てきた時、世の中で爆発的に普及が進んだのは周知の通りだ。その理由は偏に「便利だから」であろう。今まで洗濯板を使って時間をかけて洗っていたものが、ボタン一つで済むようになったのである。そして空いた時間を使って、子どもと向き合う時間が増えたり、自分の趣味にあてる時間が増えたりしたことだろう。この時、頑なにデジタル化への反対を貫いた高齢者がどれほどいたのだろうか。その世代を生きた若宮さんに聞いても「反対して洗濯板にこだわる人は多くなかった」と振り返る。このことは、行政サービスのデジタル化にあたっても、同じ考え方が当てはまると考える。
現在の行政手続きは、かつての「洗濯板」のようなものだ。役所に足を運び、延々と番号札とにらめっこを続け、ようやく順番が来たら同じ情報を手書きで幾度となく記入し、不備があったら書き直し、無論ハンコがなかったら申請すらできないという現状である。ところが、かつての洗濯機のような高い利便性を誇るデジタル申請が普及すれば、自宅からオンラインで申請することができる上、記入ミスに対してはリアルタイムでフィードバックがされ、待ち時間は0分と、人々の暮らしは大幅に便利になる。
今日ではマイナポータルを始めとする国主導のデジタル化が進むと同時に、地方自治体の動きも活発になっている。筆者も石川県加賀市のデジタル化推進プロジェクトに参画しており、地方特有の明確な課題を、デジタル申請によって解決することを目指している。このように、身の回りのサービスが電子化によって利便性が担保され、徐々にその認知が広がれば、今は腕組みをして動向を静観している高齢者にも、デジタルの輪が広がっていくことだろう。
このように、「高齢者が使ってしまいたくなるようなデジタルサービスの提供」も、学習エコシステムを構築するのと同程度に重要だと考える。
最後に、エストニア人から寄せられたコメントを紹介したい。調査の中でデジタル化の恩恵としてエストニア人が残した一言が、「孫と遊ぶ時間が増えた」「趣味のガーデニングに割く時間が増えた」という声。デジタル化によって生まれた余暇を、自らの幸福度を向上させる活動に繋げており、これこそがデジタル化によって目指すべき姿だと感銘を受けた。デジタルデバイドの解消ではなく、その先にある「高齢者にとって豊かな社会」の実現に向けて、引き続き若宮さんと年の差58歳のタッグを組んで取り組みを進めていきたいと思う。

齋藤 アレックス 剛太(さいとう あれっくす こうた)

エストニア在住。2016年に世界一周に挑戦し、外資系コンサルティングファームEYを経て、20185月よりエストニアへ。現地では、オンライン本人確認サービスを提供している現地スタートアップ・Veriffに唯一の日本人として参画後、GovTechスタートアップ・blockhiveに入社。メンバーファームとしてSetGo Estonia OÜを設立し、Co-founderとして日本企業のエストニア進出支援を行う傍ら、日本におけるデジタルID普及や、デジタルデバイド問題解消に向けた取り組みを行っている。

 

若宮 正子(わかみや まさこ)

メロウ倶楽部副会長/ NPOブロードバンドスクール協会理事/熱中小学校教諭/エクセルアート創始者

1935年東京生まれ。東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学 附属高等学校)卒業後、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)へ勤務。定年をきっかけに、パソコンを独学。

iPhoneアプリ開発で米アップル開発者会議「WWDC 2017」に特別招待される。著書に『独学のすすめ』、『老いてこそデジタルを。』(1万年堂 出版)