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2021.02.10

2021年2月号特集 行政のデジタルトランスフォーメ―ションの課題と展望

LINE株式会社 執行役員 AI事業総括担当 AIカンパニーCEO
内閣官房IT総合戦略室 政府CIO補佐官
砂金 信一郎

1.デジタル庁(仮称)と新型コロナウイルスの追い風

「チャンスは最大限に活かす。それが私の主義だ」というのは、私が敬愛するシャア・アズナブルの言葉である。デジタル庁(仮称)の創設を9月に控え、先行プロジェクトの推進に関わる人材の採用が始まり、これまで行政にあまり興味を持たなかった非公共領域のIT業界の人々や、スタートアップ業界で活躍する起業家の方々から、政府CIO補佐官を担当している私のもとにも「興味がある、何か貢献できないか」という趣旨の問い合わせが相次いでいる。また、新型コロナウイルスの蔓延により、移動や物理的な接触に制限がかかったことから、医療、教育、行政サービスなどこれまで対面を前提としていた場面で、デジタルツールを活用した遠隔コミュニケーションの検討が急ピッチで進むこととなった。加えて、特に行政において多用されていたFAXや「はんこ」など紙文書を前提とした業務のあり方に批判的な風潮が一気に強まり、その解決策としてのデジタルトランスフォーメーション(以下、DX)の必要性を、これまで不平不満を押し殺していた国民だけでなく、自治体や官公庁で働く職員含め、多くの人々が強く望む事態となった。確実に、かつてなかった勢いで、行政のデジタル化は盛り上がっている。
この追い風を最も喜んでいるのは、行政システムになんらかの関わりを持ってきていた私を含む「行政&情報システム」読者の皆様であろうが、一方でどこか冷静な感覚も持ち合わせているのではなかろうか。冒頭、唐突に機動戦士ガンダムのキャラクターであるシャアのポジティブな名言を引用したが、「これで勝てねば貴様は無能だ」と、戦友に冷たく言い放つ別のシーンも同時に私の頭をよぎる。本稿では、過去うまくいかなかった課題やその原因を振り返りつつ、この千載一遇のチャンスを活かす作戦を、皆様とともに考えたい。戦いとは、常に二手三手先を読んで行うものである。

2.デジタル敗戦のふりかえりと環境変化

2020年12月25日、デジタル・ガバメント閣僚会議にて2つの文書が閣議決定となった。ひとつはデジタル庁(仮称)創設趣旨を含む「デジタル社会の実現に向けた改革の基本方針」であるが、もうひとつは、2018年1月に初版が策定された「デジタル・ガバメント実行計画」の改定である。行政のデジタル化は昨今始まった話ではなく、IT基本戦略やe-Japan戦略は2000年頃の話である。各時代のIT技術を活用し、「一丁目一番地」として行政事務のデジタル化が行われてきたのだが、その積み重ねの結果が今である。
行政のデジタル化がうまくいかない理由をIT業界の方々が議論すると、組織の縦割りや事なかれ主義、利用者目線の欠如などの批判めいた意見が矢継ぎ早に出てくるが、残念ながら令和になっても画期的な解決策は存在せず、これらの課題をITで短期的に解決することはほぼ不可能である。これは行政に限った話ではなく、民間のITプロジェクトをみても、金融業界とエンタメ業界では規制や文化は全く異なっており、行政システム構築における所与の条件として考えた方が建設的である。
もちろん、DXプロジェクトを成功させるためには、デジタル化を目的にするのではなく、組織文化や業務プロセス自体の改革を伴うことが必要である。筆者も微力ながら貢献してきた一部の先進的なプロジェクトでは、サービスデザインの考え方に基づき、利用者目線で使いやすい行政サービスが運用されつつあるが、その成功には属人的な要素を含んでおり、再現性は乏しいと言わざるを得ない。
ではなぜ、その状況を理解している人々が、2021年に行政のデジタル化でこれほど盛り上がっているのか?同じ失敗を繰り返すことを恐れず期待に満ちた議論をしているのか?
ここでは、「DXを支える要素技術が役立つものになってきた」点と、「利用者のIT環境変化」の2点にフォーカスを当てて説明してゆきたい。行政のDXを成功させる上で、どちらもここ20年の間に大きく変化している重要なファクターである。

3.インターネットとスマートフォンの劇的な進化

インターネットとスマートフォン、ここ20年の我々の生活や仕事をとりまく環境で最も変化したものである。一般論として、日本のIT業界はどちらの領域でもグローバルでの競争力を失い、米国のGAFAM(Google, Amazon, Facebook, Apple, Microsoft)や中国のBATX(Baidu, Alibaba, Tencent, Xiaomi)と呼ばれる巨大IT企業に大きく後れをとることとなった。しかしながら、日本でも広く普及したこれら企業が提供する技術は、確実に我々の生活を変え、肌身離さず持ち歩くスマートフォンからあらゆる操作が可能になっている。初期の頃こそ、通信速度やアプリの操作性などの課題はあったものの、ハードウェアやネットワーク、アプリ開発技術の急速な進展により、不便さを感じることは少なくなっている。インターネットやスマートフォンはSNSやゲームだけのためのものではない。行政においてもこれらの技術を活用することで、より使いやすいサービスを簡単に構築できるようになってきているのである。半導体のようなハードウェアだけでなく、ソフトウェアにおいても、細かな改善の積み重ねを含む技術の進化は連続的に起こってゆくが、一定レベルの品質を超えて、人々が便利さを享受できるようになると、当たり前のものとして普及してゆく傾向がある。例えば、機械翻訳においても、数年前は実用に耐えず、人々は単語の意味を調べながら自分の頭で意味を解釈して外国語の文章を読んでいたが、ディープラーニング技術の発達により、今ではブラウザで右クリック、翻訳とするだけで、英語に限らず各国の言語が日本語で読みやすい文章に翻訳されるようになっており、多くの利用者が活用している。
ひとつ残念なことに、行政を含む日本のエンタープライズIT業界においては、ソフトウェア開発技術の進化が伴わなかった。GAFAMやBATXをはじめ、インターネットサービスやスマートフォンアプリに軸足を置く企業の多くは、仕様書通りに動作するソフトウェアを構築する世界から、機能的には不完全であっても、早くベータ版を提供して利用者からのフィードバックを集め、継続的により使いやすいサービスになるよう、継続的に改善する世界に移行している。サービスデザインやアジャイル開発はそれを実現するための手段として期待されており、状況に合わせて適切に使いこなすことができれば、失われた数年を取り戻すことも可能である。

4.利用者のIT環境の変化

技術の進化に伴い、利用者のIT環境も大きく変化している。筆者がLINEに入社した2016年当時、LINEを活用した行政サービスを提案しようものなら、スマートフォンに不慣れなシニア世代が使いこなせないからと門前払いされることも少なくなかったが、フィーチャーフォンからの移行が進み、シニア世代もスマホで家族や友だちとLINEで会話するのが一般的となった2021年においては、LINE社が提供する地方公共団体向けのプランを活用する団体が大きく増加して630を超えている。広報誌の配信にとどまる自治体も多いが、早い段階から先進的な取り組みを開始して住民からの支持を得ている渋谷区や福岡市などでは、教育や育児など住民の課題に則して配信されるセグメント情報配信や、粗大ゴミなどの申請にもLINEを活用し、住民向けのサービスレベルを向上している。LINE社が掲げる「持ち運べる役所」のコンセプトは、新型コロナウイルス対策で物理的な接触が制限される中、対面での窓口業務の軽減に一役買っており、家族や友人との会話の中で日常的に使うアプリと同じインタフェースで、多くの方々がすでに使いこなしている。
IT業界の方々は特に、技術の進化に目を奪われがちであるが、大切なのは通信インフラやハードウェアの進化ではなく、利用者の体験(UX)の変化である。20年前の多くのオンラインサービスは、PCによる操作を強要し、限定したブラウザでしか動作しないなど、利用者がシステムの都合に合わせる必要があったが、今では利用者が普段の生活で使い慣れたスマートフォン上のインタフェース(UI)で多くの手続きを完了できるようになっている。1次元のものさしでの、リテラシーが高い/低いといった乱雑な議論ではなく、利用者が自然に使いこなせるUIはどのようなものかを普段の生活の中から解像度高く洞察し、その時代に即したシステムを構築し、運用の中で継続的に改善、進化させてゆくことが求められている。

5.2021年以降に起こる技術革新の可能性

20年前と現在の違いとして、技術の進化と利用者のIT環境の変化を深掘りしてきたが、筆者がLINE社でとりくむAIを活用したさらなる技術革新の可能性についても簡単に紹介しつつ、要素技術とサービス開発の関係について論じておきたい。行動データに基づくレコメンデーションや画像認識によるがんの発見などは、すでにAI技術の進化により実用化されているが、2021年は言語処理関連で大きなブレークスルーがある可能性が高い。2020年後半に英語環境での驚異的な性能が話題となったGPT-3という言語処理モデルがある。これまでの自然言語処理技術は、言葉の理解や分類に応用される技術であったが、GPT-3はいくつかの条件を与えることで文章の生成を高い品質で実現することができ、文書の自動生成や対話などさまざまな分野での応用が期待されている。多くの研究者が性能改善や実用化に向けて動き出しているものの、そのほとんどは英語をターゲットにしており、学習データや計算機環境、研究者の偏りなどの理由により、日本語環境における本格的な取り組みはみられなかった。LINE社では英語ベースのGPT-3に相当する1,750億以上のパラメーターを擁する日本語の超巨大言語モデルを、700ペタフロップスを超える性能のスーパーコンピューターを用いて構築する取り組みを進めている。これが実現されると、英語圏や中国語圏にリードされていた自然言語処理技術関連のAIサービス開発において、日本がリーダーシップをとれる可能性を秘めている。なお、時期や範囲は未定だが、この成果は共同研究や契約ベースで外部にも公開する予定である。
この超巨大言語モデルを構築するにあたっては、Zホールディングス社との経営統合を考慮しても、LINE社を含むグループ単独で学習データを確保することは難しく、協業を依頼すべく打診しているデータ保有企業からは、「なぜLINEがやるのか?」「過去大手IT企業に依頼して取り組んだがうまくいかなかった」という声を聞く機会が多く、説明に苦慮している。ちなみに、メッセンジャーアプリとしてのLINEにおける利用者同士の通信は、通信の機密やプライバシー保護の観点からEnd to Endで暗号化されており、学習データとして活用することはできない。したがって、コミュニケーションインフラとして日本語でのデータを多く保有するからLINEが超巨大言語モデル構築に優位性があるという理解は適切ではない。にもかかわらず、巨額の投資を行うのは、AI技術に対する戦略的な先行投資余力があることはもちろんのこと、要素技術とデータを有効に活用して、ユーザー体験を高めるサービス開発に実績と自信があるからに他ならない。

6.サービス運営とITシステム構築の違い

LINE社では、技術開発自体を目的とせず、常に利用者の体験にWOW(初めての驚きの体験、思わず友だちに教えたくなるような感動)を提供し、よりなめらかなUXを実現するための手段として超巨大言語モデルのようなAIをはじめとするIT技術を活用することが、徹底的に企業文化にすり込まれ、それを得意とする人々が集まっている。
これは筆者が所属するLINE社だけでなく、厳しい競争環境の中でしのぎを削りながら自社サービスを早いサイクルで開発、改善し続けているメルカリ、楽天、DeNA、リクルートをはじめ、B to Cサービスを提供しているIT企業に共通する特徴といえる。日本においてもこれら企業に続く多くのスタートアップ企業が生まれており、GovTechと称される行政向けサービス提供企業も含まれる。GAFAMやBATXはシステムインテグレーターでも通信事業者でもなく、データやAIを最大限活用して利用者体験を改善し続けているサービス運営企業であることを忘れてはならない。目的と手段を取り違えないという観点においては、AIに限らずDXにおいても同様である。一部B to Bの文脈でGAFAMが彼らの技術をDXの手段として外部企業に提供することはあるが、DXが目的ではないことはもちろん理解しているし、DXという言葉を使わずとも当たり前のように手段として有効に活用しながら実現しているデジタル変革は、常に利用者の体験のほうを向いている。

7.対立ではなく共感

ここで述べてきたような組織としての能力は、仕様書通りのシステムを、納期を遵守して構築し、障害が発生しないことを第一優先として運用するスタイルからは生まれにくい。同じ「IT」という言葉を使って、同じくソフトウェア開発をしているものの、ベースとなる考え方や組織が備える能力が別物であることを、まずは理解するべきである。だからといって従前の行政システム構築にみられる巨大プロジェクト管理やシステムインテグレーションのノウハウが不要になるわけではない。反対に、信頼性や確実性が重視される領域で、データ管理に影響を及ぼす気軽なトライアルが許容されるわけでもない。違いを理解した上での、共感に基づく協業が今まで以上に重要になってくる。中長期的には、調達仕様書を策定する行政職員側に、サービス運営の深い理解が浸透することを期待したいが、一朝一夕に広く変化を起こせるものではない。その役割を、行政システム構築に慣れたシステムインテグレーターやコンサルティング企業が担当してもよい。組織のあり方や規模の大小で境目をつくることなく、利用者の体験をいかに高めることができるかという共通の目標を掲げた上で、尊敬と信頼に基づくプロジェクトチームを構成することができてはじめて、利用者目線で使いやすいUI/UXが実現できる。デジタル庁(仮称)で今後ご活躍される職員の方々には、縦割り文化やにわかに変えがたい制約の中においても、スタートアップ的なサービスデザイン思考を貫き通すことができるプロフェッショナルであっていただきたいと切に願う。

8.データ戦略

行政システムとスタートアップを含む民間サービスの連携をよりなめらかに実現する上で重要な概念が、データ戦略に内包されており、「データ戦略タスクフォース」の第一次とりまとめとして、デジタル・ガバメント閣僚会議において、あわせて決定されている。筆者は、このデータ戦略タスクフォースに構成員として参画する機会を得て、主に民間事業者観点でのフィードバックを行いつつ、他の構成員皆様と有意義な議論を行うことができた。詳細は該当文書を参照いただきたいが、極論、「行政が担当する役割は、データの管理である」ということが述べられている。行政が責任を持って信頼性の高いデータ管理を行うことができていれば、利用者目線で使いやすいサービスの構築などは、民間事業者に任せることができる。それぞれが、得意な領域を分担して行えばよいのである。
一部の民間事業者も公益性の高いデータを管理しているが、行政機関は最大のデータ保有者であり、オープンデータとして公開されているデータだけでなく、ベースレジストリと呼ばれる個人、法人、土地などに関するさまざまな基本台帳を管理している。現時点においては、データ品質や信頼性の観点で改善すべきことも多く、ベースレジストリの整備を段階的に進めてゆくことになる。また、データの利活用においても、APIやプラットフォームの重要性や実現に向けた計画が記載されており、これらを順調に整備してゆくことができれば、民間企業の優れたUI/UXを行政システムの一部として活用できるようになる。

図1 行政サービスにおけるDXのあり方

(出典)筆者作成

9.今後に向けての期待

未だ新型コロナウイルスが収束する気配のない2020年末、横浜山下埠頭に全高18メートルの実物大ガンダムが建造された。歴史を振り返ると、疫病の流行があると社会不安を取り除くべく大仏が建立されてきたことから、このガンダムを令和の大仏と呼ぶ声もある。2009年にも実物大ガンダムがお台場に建造されていたが、このガンダムは立像であり動くことはなかった。ビジョンと夢や希望だけでなく、日本企業が誇る技術を結晶し、この10年強で我々は擬似的な歩行を含めて、巨大なガンダムを動かすことができるようになった。追い風となる社会環境や技術革新のさなか、行政システムはどんな進化を起こせるだろうか。シャアでなくとも、このチャンスを最大限に活かす方策を考えてゆきたくなる。

砂金 信一郎(いさご しんいちろう)
LINE株式会社 執行役員 AIカンパニー カンパニーCEO
LINEのAI事業を推進するAIカンパニーの代表を務める。LINEの各サービスのユーザー体験を向上するために研究開発してきたAI技術を外部にも広く提供し、生活や仕事の煩わしさを解消している。
東工大卒業後日本オラクル、ローランド・ベルガー、リアルコムを経て、クラウド黎明期からマイクロソフトにてMicrosoft Azure担当のエバンジェリストとしてスタートアップ支援やCivic Tech連携を含め積極的に推進した後、現職。2019年度より内閣官房にて政府CIO補佐官を兼任。生粋のガンダム好きとして知られる。Twitter @shin135