4.おわりに
以上、NECの事例を通じて、AIによる交渉自動化の現状と今後の見通し、および技術と制度のギャップという課題を紹介した。最後に、「人間中心のAI」を考えるうえでこの事例から得られる展望や示唆に触れておきたい。
第一に、人とAIの役割分担の変化である。「交渉」は取引関係にある担当者同士の関係性や感情、暗黙の了解といった人間的な要素を含む行為とみなされ、従来はAIによる代替が難しいと考えられてきた。それがAIにかなり代替されるようになった点がまず注目されるだろう。とはいえ、現段階では交渉の中でも定型的な内容はAIが担い、高度で例外的な判断は人にエスカレーションされ、最終的な契約確定も人が担っている。システムの効率性と信頼性を両立させるために、このような「Human-in-the-loop」設計が有効な手段となっていることがうかがえる。
一方で、AIエージェントの適用が今後ますます拡大していくにつれて、AIと人間の役割分担の再設計は不可欠となるだろう。NECでは今後、人員の戦略業務へのシフトが進むとみている。こうした考え方は「人を排除するAI」ではなく「人の能力を再配置するAI」を志向するものであり、人間中心のAIを実践するうえで重要な視点となる。
第二に、フェアな取引という社会課題の解決への期待がある。本事例で興味深いのは、人間同士の交渉でみられるバイアスや感情を排除することで、AIエージェントの方がフェアな取引になりうると認知されてきたという点である。バイヤーとサプライヤーの人間同士の交渉は、相互理解を深めたり、暗黙知や文脈を共有したりといったポジティブな側面がなかったわけではない。しかし、どうしても両者の力関係を反映して公正性に問題が生じたり、透明性が欠如したりする傾向が強かった。そうした問題を解決し、中小受託取引適正化法に対応するためAIエージェントの活用が有効であることが示されたといえる。
第三に、制度設計上の課題である。将来、AIエージェント同士の交渉で合意に達することが技術的に可能になっても、合意の法的主体は誰か、誤った判断の責任は誰が負うのか、AIの判断過程はどこまで説明可能であるべきか、といった法制度面の解釈が問われるだろう。さらに、日本の伝統的な商取引慣行が変容し、新たな協業スタイルが生まれる可能性もある。こうした法制度・商慣習面の再設計が求められている。
AIエージェントの社会実装は、個別企業の効率化にとどまらず、取引慣行や産業構造そのものを変革しうるインパクトをもつ。AIの技術開発と利用においても、それに合わせた制度整備においても、「人間中心の情報システム」の観点、すなわち人を育てることを重視し、技術と制度の調和を図ることが求められている。とりわけ行政には、その実現に向けたルール形成と環境整備を先導する役割が期待される。
i 砂田薫「人間中心のAIをいかに実践するか」
https://www.iais.or.jp/ais_online/online-articles/20251201/202512_02/
ii 西野直樹「A2A(Agent-to-Agent)経済とは何か?」
https://www.mri.co.jp/knowledge/opinion/2026/202604_1.html
iii NECは、技術を指す場合に限定して「エージェンティックAI」の言葉を使い、技術の応用やユースケースを伴う場合は「AIエージェント」と呼んでいる。

砂田 薫(すなだ かおる)
情報システム学会名誉会長/国際大学GLOCOM主幹研究員
ビジネス系IT雑誌の記者・編集長を経て、2003年から国際大学GLOCOMで調査研究に従事。専門は人間中心の情報システム、北欧型デジタル社会、情報政策史・同産業史。行政情報システム研究所客員研究員、中央大学理工学部兼任講師、総務省情報通信審議会専門委員、電気通信事業者協会「ユニバーサルサービス支援業務諮問委員会」委員&副委員長、情報通信研究機構「Beyond 5G外部評価委員会」委員、情報社会デザイン協会監事、自動車情報利活用促進協会評議員等の活動を行っている。