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2018.10.10

2018年10月号連載企画 海外公共分野ICT化の潮流 No.8 在タイ日本国大使館におけるデジタル・ガバメント先進事例~デジタル・ガバメント実現に向けたサービス設計12箇条の実践とその秘訣~

在メルボルン日本国総領事
松永 一義

1.はじめに

筆者が在タイ日本国大使館勤務中の2011年、タイで大洪水が発生した。この洪水が在留邦人の生活や在タイ日本企業の活動に甚大な被害をもたらした事をご記憶の方は多いと思う。

この時、同大使館では日本語による迅速な洪水情報を必要とする在留邦人の要望に十分に応えるため、大使館内の特定の班で慣習的に行われていた情報収集とその発信方法を見直し、ソーシャルメディアを活用した情報共有サービスを展開した。

この取り組みは偶然にも内閣府にてとりまとめられた「デジタル・ガバメント実行計画」(2018116eガバメント閣僚会議決定)のエッセンスを先取りするような事例と考えられるので、本稿にてその取り組みの一端をご紹介すると共にこれらの経験を踏まえ、本邦におけるデジタル・ガバメントの実現に向け提言する。

(著者提供)

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(著者提供)

2.洪水情報共有サービスの概要

1)ホームページやメールによる従来の情報提供方法

在タイ日本国大使館では、従来洪水が発生した際、政務班にてタイ語の専門家が現地のテレビや新聞を24時間体制でモニターし、日々の浸水状況を日本語で取り纏め、本省へ報告していた。同時に領事班では、その報告の一部を加工し、大使館ホームページや在留届を提出している在留邦人に対してメールによる情報提供を行っていた。 

しかし、2011年の大洪水発生時は、刻々と変化する被災の状況を日本語で把握したいという在留邦人の要望に十分応えるため大使館は更なる対応が必要とされた。

2) ソーシャルメディアを活用した情報共有サービス

大使館と在留邦人との間で何度も意見交換を行った結果、情報の利用者である在留邦人の要望や課題が明らかとなり、大使館と在留邦人が双方向で簡便に情報を発信・共有可能なソーシャルメディアを活用した新たな情報共有サービスを段階的に提供することに至った。

1 Twitterによる情報発信の対象拡大、迅速化及び情報の充実

簡単に利用者登録ができ利用者の誰もが情報を発信できるTwitterで日本語による洪水最新情報を発信した。更に英語であれば理解できる利用者も多いと想定し、タイ政府の洪水関連情報の英語版サイトもリツイートした。

2 TwitterGoogle Mapsの連携による道路名や地名情報の視覚化

Twitter上に明記した道路名や地名をクリックすると、Google Maps上で該当地が表示されるようにリンクを貼った。

3Google Maps上で洪水最前線の写真を掲載

毎日1回、館員が車両で移動し、洪水の最前線を視察し浸水状況を写真撮影してGoogle Maps上に掲載した。

4)利用者も巻き込んだ情報の充実

利用者である在留邦人に対して、各々住居や職場周辺の写真を撮影し、提供してもらうよう協力を求めた結果、日本人の多い居住地や職場周辺の写真が毎日200枚集まった。

このようにして、利用者の要望に対応し最新の情報が共有できるサービスの提供が段階的に可能となった。

 

(出典)在タイ日本国大使館Google Maps

(出典)在タイ日本国大使館Twitter

3.利用者中心の成果創出~デジタル改善からデジタル改革へ~

デジタル・ガバメント実行計画の目指すべきところは、既存の情報システムの刷新により数十%の業務効率化や予算削減に留まる「デジタル改善」ではない。最新技術を取り入れ、従来の業務慣習を抜本的に見直し、数十倍の効果を創出する「デジタル革命」である。

タイの洪水の事例では、予算要求をしてシステム構築するという従来の業務慣習にとらわれることなく、無料のソーシャルメディアを活用し、同時に上述した大使館内の各班の業務内容・分担も大きく見直した。その結果、日本語による迅速な洪水情報を必要とする利用者の要望に対し以下の通り応えると共に、追加の予算がかからなかった点からも当時としては画期的であった。

1) 利用者から最初に要望を受けた3日後から上述のソーシャルメディアを活用したサービスを開始。

2) 在留届を提出せずメールを受け取れていない短期滞在者にも情報を提供。

 

1 サービス設計12箇条と設計コンセプト

3) 写真や地図を使い分かり易さに配慮し、利用者自身も情報提供を可能にすることで情報を質的・量的に充実。

デジタル・ガバメント実行計画に明記された「サービス設計12箇条」(図1)は利用者中心のサービス向上に向けた有益なノウハウ集である。タイ洪水が発生した当時は、このようなノウハウ集はなかった。

振り返ってみると、本件事例は新たなサービス実現に向け、この12箇条に沿った形で様々な工夫とチャレンジを行った実例であったといえる。

以下、サービス設計12箇条に沿って、タイ洪水の事例を検証してみることとする。

 

第1条:利用者のニーズから出発する

1 利用者の要望や問題の明確化

大使館と在留邦人の代表との間で洪水に関する意見交換を何度も行った結果、利用者の要望や課題が以下の通り明らかになった。

1)洪水に関するタイ政府発表や報道の多くがタイ語であった。しかし在留邦人の多くはタイ語を理解しないため、日本語による迅速かつ多くの情報提供が求められた。

2)馴染みのない地名や道路名について、地図上で場所が把握できる情報提供が求められた。

3)「タイに血清のない毒蛇が国立毒蛇・感染症研究所から逃げた」といった市民の不安を煽るような不正確な情報が当時インターネット上に氾濫したため、正確な情報の提供が求められた。

2 多くの大使館関係者が参加し問題意識を共有

意見交換には大使館幹部の公使や参事官を始め、総務班、領事班、政務班、経済班から幅広い関係者が参加して、上記要望や課題を館全体で共有し、解決に向けて知恵を絞った。

 

第2条:事実を詳細に把握する

1 情報の信頼性向上のため洪水の最前線巡回

提供する情報の信頼性を高めるため、既存の報道による情報のみに頼ることなく、毎日1回、館員が車両で移動し洪水の最前線を巡回し、最新の情報を収集した。

2 閲覧状況の定量的把握

Twitterのフォロワー数やアクセス数をモニターし、閲覧状況を定量的に把握することで、利用者の要望の変化を把握し、サービスで共有する情報の見直しを順次図った。

 

第3条:エンドツーエンドで考える

1 被災者に対する支援体制の整備

利用者が洪水情報を必要とする理由は、洪水による被害を最小限に抑えるため、様々な対策を事前に準備できるようにするためである。そのため、大使館としては単なる情報の提供に留まらず、危機に直面した場合の緊急の相談にも対応できるよう電話によるサポート体制も整備した。

2  利用者の視点を意識した業務内容及び分担の見直し

従来は政務班が情報収集を行い、領事班が在留邦

人に対する情報提供を行っていたが、利用者の要望を踏まえ情報の収集や提供の方法を抜本的に変えた。政務班自らが利用者の要望を踏まえ、上述した情報収集に加えTwitterGoogle Mapsによる情報発信を行い、領事班は電話相談や被災者支援により専念できるようにした。

日頃より利用者との接点が多いのは領事班であるのに対し、政務班は在留邦人との接点は少ない。今回、政務班自らが文字や地図情報の提供を求める利用者と直接意見を交換したことで、従来から行ってきた情報の収集や編集の業務を見直すことが出来た。企業活動で言えば、開発・製造部門が営業部門を経由することなく、直接、顧客の意見を聞き、顧客の要望に応じた製品を製造できたと言える。

 

第4条:全ての関係者に気を配る

1 利用者の写真提供による視覚的な情報の充実

利用者にも情報提供を依頼し、サービス運用に対する情報提供者としての当事者意識を持たせた。それにより更なる写真情報が充実し利便性が更に向上した。

2 館員の業務の効率化

従来は、在留邦人へ送付する電子メールの案文を紙に印刷し館内の決裁を得ていたため時間を要していた。これを館員がTwitterに掲載する案文を関係者にメールで送信し、1時間以内にコメントがなければ決裁を得られたものと見なす運用に変更し、決裁の迅速化を図った。

3 メールを受け取れない短期滞在の邦人への配慮

在留届提出の義務がなく、メールによる情報を受け取れない旅行者などの短期滞在者にも情報提供できるよう、短期滞在者自身が作成したIDで即登録・利用できるTwitterを活用した。

 

第5条:サービスはシンプルにする

1 使い易さへの配慮

TwitterGoogle Mapsなど利用者が普段利用しているソーシャルメディアをベースにすることで利用マニュアルを不要とした。

2 写真掲載作業の省力化

利用者から提供される写真を地図上に掲載する作業が膨大になることが懸念された。そこで、利用者から位置情報を付加した写真を特定のメールアドレスに送付してもらい、自動的にGoogle Maps上に展開される機能を活用することで、大幅な省力化を図った。

 

第6条:デジタル技術を徹底的に活用する

1 情報の正確性確保のためのセキュリティ対策

1)不正確な情報提供のリスク

セキュリティ上の最大の懸念は、情報漏洩よりも不正確な情報の提供であった。タイの新聞やテレビの情報を大使館で日本語に翻訳した二次的情報を事実を確認しないまま提供して良いのかという議論が大使館内にあった。そこで正確性を高めるために複数の報道機関が共通で報道している内容を優先して情報提供をした。

2)不適切な写真掲載のリスク

利用者から提供される写真は自動的にGoogle Mapsに展開されるため、洪水とは関係ない不適切な写真が掲載される恐れがあった。しかし、大使館員が一枚一枚精査することは、迅速な情報提供を求める利用者の期待に反することから、行わないという判断をした。

3) ソーシャルメディアの特性を生かしたセキュリティ対策

従来のメールであれば不適切・不正確な情報を一旦送付してしまったら削除することは困難であるが、TwitterGoogle Mapsは容易に削除できる。そのため24時間の情報提供体制を活用し、不適切な情報の指摘を受けた場合、直ちに削除することで影響を最小化することをセキュリティ対策の方針とした。

エピソード:たった1枚の不適切な写真の掲載を恐れサービスをリリースしないよりも、多少のリスクの可能性があっても数多くの写真によりもたらされるメリットを優先した。不適切な写真が掲載されたらかえって注目され閲覧者数が増えるといった位の前向きな割り切りをした。

 

2 最新技術を理解する館員の関与

利用者からの要望を把握しても、大使館内でインターネット上のサービスを理解している人材がいなければ今回のサービスは実現できなかった。電子メールによるGoogle Mapsへの写真掲載など、若手の技術系館員からの提案を積極的に取り入れたことが最新技術の活用につながった。

 

第7条:利用者の日常体験に溶け込む

利用者がいつでも、どこでも情報を受け取れるよう、日常携行しているスマートフォンやタブレットで利用できることを前提とした。

 

第8条:自分で作りすぎない

洪水の発生期間中に緊急対応が求められていたため、システムを開発する予算も時間も無かった。そのため、既存のTwitterGoogle Mapsを活用することを前提として、それらのサービスが提供する機能の範囲内での情報提供の充実に心がけた。

 

第9条:オープンにサービスを作る

1.掲載写真の充実

利用者にも写真の提供を協力してもらうことで、日本人の多く集まる居住地や職場周辺の写真が充実し、その過程で一部の地域の写真数が少ないと気づいた利用者が写真の提供をし、更に充実するという好循環を生んだ。

2.利用者自身による利用状況の把握

メールやホームページでは利用者が利用状況を知ることは出来ないが、Twitterであればフォロワー数、Google Mapsであれば写真の掲載数で利用状況が誰にでも分かる。利用者にとって役立っているサービスであれば利用状況を示すフォロワー数や写真数が増えることにより、更に利用者数も増加した。

 

第10条:何度も繰り返す

大使館と在留邦人間の意見交換は継続的に何度も行った。サービス改善に向けた機能拡張や提供情報の拡充に関して、利用者からの意見や要望を聴取しつつ、対応可能なものから段階的にサービス向上を図っていった。

 

第11条:一遍にやらず、一貫してやる

段階的な機能拡張は、サービスの提供者側である大使館にとっても好都合であった。24時間体制の整備、担当班以外の館員の関与、新たな作業手順の習熟など、本サービスに従事する館員の理解と協力を得るための準備が必要であった。意見交換を通じて利用者から高い評価を受けることによって、館員のモチベーションも高まり、更なる機能拡張の実現も比較的容易に対応できた。段階的に実施することによって、館員用の操作マニュアルや情報発信のガイドライン策定など運用面の充実も徐々に図ることができた。

 

第12条:システムではなくサービスを作る

インターネット上での洪水の情報提供だけでなく、浸水に備えた対策や実際に被害を受けた日系企業の状況把握など、幅広い意見交換も継続した。また、インターネットにアクセスできない邦人に対して電話による照会にも対応できるサポート体制も整備した。

 

4.デジタル・ガバメントの実現に向けて

タイの洪水情報共有サービスの内容は、サービス設計12箇条に即しており、利用者中心のサービスを設計する先進的な実例であったと言えるが、設計されたサービスを実際に運用する際には、乗り越えるべき課題もあった。タイでの成果の背景には、緊急事態時に大使館幹部が利用者と向き合い要望に応える強い当事者意識を有したからこそ、既存の組織の枠組みや業務の慣習を乗り越える際に生じるリスクよりも利用者の要望を優先できたことで実運用に至ったと言える。

一方、デジタル・ガバメントの実現に向けた当事者意識の醸成は、タイの事例と比較して規模も組織も大きいため簡単では無いであろう。

現在筆者の赴任地であるオーストラリア・ビクトリア州では、この当事者意識の醸成のため行政府において以下のような取り組みが行われている。

ビクトリア州では2016年に4ヵ年の情報通信技術戦略(Information Technology Strategy, Victorian Government, 2016-2020 )を策定し、州政府の保有する情報、システム、州政府機関職員の質向上に努めている。

上記ビジョンの制定と同時に、州政府機関の職員がより良い行政サービスの提供に専念できるよう職場環境改善方針(Workplace Environment Statement of Direction for the Victorian Public Servant)を掲げ、最新技術を活用した業務の共有化、効率化、就業形態の柔軟性向上を通じた職場環境の改善を図る取り組みを開始した。この取り組みの司令塔として、各政府機関との横連携や課題分析等を組織横断的に推進するためにオーストラリアの州として最初のCDOChief Data Officer)が任命されている。

翻って、本邦行政府においては実質的責任者であるCIO(情報化統括責任者:Chief Information Officer)及び副CIO(以下両者を幹部と表記)の役割が大きい。デジタル・ガバメントの実現に向けて、これら幹部の役割を以下のようにしてみてはどうだろうか。

1)幹部の総合調整権限の強化

1)システム刷新から業務刷新へ

デジタル改革には既存の業務慣習の抜本的見直しが伴うため、利用者の成果を重視する窓口課以外にも既存業務の変更や予算・人員削減に抵抗する課、リスク重視の課など後方に控える課の利害調整を組織横断的に調整する必要がある。行政情報システムのガバナンスを主導する幹部は、システム以外の業務の予算や人事の再配分にも指導力を発揮しなければならない。

2) リスク回避でなくリスクを直視したセキュリティ対策

メルボルンに着任して以来、日本とのビジネス経験のあるオーストラリア人からよく次のような指摘を受ける。「日本の組織は新規事業のもたらすプラス面よりも、情報漏洩などマイナス面の検討に時間を割く。しかも、リスクの分析・評価、優先順位を付けたセキュリティ対策など本来のリスクを直視して、それらのリスクによる被害を最小化するという前向きな議論でなく、想定し得るリスクが少しでもある限り新規事業を認めようとしない。」実際、行政府においては、幹部が利用者中心の成果目標の達成よりも、情報漏洩などの情報セキュリティ上の問題が発生した場合の責任により敏感に反応する傾向があり、これまで最新技術の導入を含む抜本的な改革が進みにくかった。幹部は成果目標を達成するためにリスクをどう管理するべきかという視点で取り組まねばならない。リスクをゼロにすることは不可能なので、徹底したリスク分析・評価を行い、セキュリティ対策或いは危機管理計画をしっかり策定することが重要である。

 

2)幹部の更なる当事者意識の醸成

1)利用者との直接対話

利用者中心の成果目標の達成に対する強い当事者意識を醸成するため、幹部自らが利用者に直接向き合い、利用者の要望や課題を感じ理解することが重要である。サービス導入によるメリットと情報セキュリティ上のリスクを総合的に判断し、局課を超えた利害関係を調整し、利用者中心の新たなサービス実現に向けて主体的指導力が発揮することが求められている。

2)企画・開発・運用まで同一の幹部の関与

民間企業を含めたデジタル革命の成功事例を見ると、成功の裏には必ず指導力を発揮した幹部の顔が見える。行政府においては人事政策の都合上、頻繁に人事異動が発生する。今後はサービスの企画段階から開発、運用に至るまでの間、主体的に関与する幹部は成果目標を達成するまで異動させないようにするなど、これまでの業務慣習から一歩踏み出すことも検討すべき課題であろう。

松永 一義(まつなが かずよし)

在メルボルン日本国総領事
慶応義塾大学理工学部、マサチューセッツ工科大学大学院修士課程卒業。1986年に外務省入省後、キャリアの半分はシステム開発・運用に従事し、残りの半分は原子力、領事、政務等の外交業
務を担当。直近では大臣官房情報通信課長、サイバー・セキュリティ情報化参事官を経て、2017年4月より現職。総領事館公式Twitter(https://twitter.com/japan_in_mel)で活動状況を発信中。