機関誌記事(記事単位)

無償

2019.08.09

2019年08月号特集 エアラインが取り組むドローン活用と組織イノベーション

ANAホールディングス株式会社 デジタル・デザイン・ラボ
ドローン事業化プロジェクトリーダー 保理江 裕己
取材・文/栗田 祐一

我が国政府・自治体における業務・サービスのイノベーションの必要性が指摘されて久しい。しかしながら、そうした改革に実際に着手し、成果を上げている例はきわめて少ない。こうした中、日本の航空業界を代表する企業の一つ、ANAホールディングスは、Society5.0の実現に向けたイノベーションに取り組む企業として昨今注目を集めており、様々な新規性のある事業を生み出そうとしている。安心・安全を優先し、リスクを排除することが重視されてきた業態において、なぜイノベーションが必要とされ、どのような取り組みが現場で行われているのか。本稿では、旅客機のアンチテーゼともいうべきドローン活用に向けた取り組みについて、その取り組みと課題、イノベーションを支える組織づくり及び今後の展望について、プロジェクトリーダーの保理江氏に聞いた。

1.デジタル・デザイン・ラボの設立

当社は、1952年にヘリコプター2機を運航する会社として創業して以来、ヘリコプター、プロペラ機、ジェット機と「乗り物」を変えて、人やモノを運ぶ事業を発展させてきました。今やエアライン事業における航空機の運航は、操縦や整備に関するオペレーションがマニュアル化され、確立された技術となりました。そして近年では、ロケットを用いた超高速輸送が構想されており、20-30年後には実現する可能性が生まれています。そこで、次世代の「乗り物」による事業ドメインを創り出し、破壊的イノベーションを自ら促進する組織として、2016年4月にデジタル・デザイン・ラボが設立されました。外部の破壊的競合者に侵食されるよりも、既存の自社事業と競合してでも、最終的に当社の事業を拡大させれば良いという思想です。ANAグループがLCC(Low Cost Carrier)のピーチ・アビエーションを自ら生み出したことも、その一つといえます。
乗り物を飛行高度で分類すれば、航空機の飛行高度は地上150メートルから10キロメートルの間であり、これより高いものがロケット、低いものがドローンや所謂「空飛ぶクルマ」の領域です。空飛ぶクルマは、我々の視点で見ると小型電動垂直離着陸航空機であり、飛行高度は違っていても、全ての乗り物に対して当社が培った安全な運航ノウハウを活用できると考えています。さらに、視覚、聴覚、触覚を遠隔地で体験できるアバターも同様です。アバターは遠隔操作ロボットであり、「乗り物」の一つといえると認識しています。現在、アバター事業は独立した準備室となり、事業会社化を目指しています。

2.ドローン事業化プロジェクトの立ち上げ

当社がドローン事業化プロジェクトに取り組むことになったのは、3つの機会が重なったことによります。1つめは、デジタル・デザイン・ラボが設立された際に、ドローンをテーマにしたこと。2つめは、社内提案制度を活用してドローンを使ったサービスをANAグループの中で作りたいという社員たちが現れたこと。3つめは、ANAホールディングスのCEOである片野坂がドローンに高い関心を持っていたことです。そして2016年12月、片野坂をプロジェクト・オーナーとして、ドローン事業化プロジェクトがスタートしました。
初期のドローンの用途は、空撮と点検でした。空撮は、地域創生のプロモーションビデオや旅行のオプショナルツアーで提供する映像を作成しました。また、点検は業務改革の一助として、航空機の整備作業の一部をドローンからの撮影に代替させられないかと検証を行いました。こうした取り組みにおいて、訓練し、行政と調整し、撮影するという経験を一から始め、ノウハウを蓄積しました。また、ドローンの管制システムの社会実装を目指すJUTM(日本無人機運行管理コンソーシアム)の立ち上げから幹事企業として参画しています。
2018年度は、目視外飛行の条件が定まったことをきっかけに、モノの輸送、ヒトの輸送をテーマに、活動を行っています。航空機の点検に関しては2017年度に取り組み、既にデジタル・デザイン・ラボの手を離れて、整備部門において現場での活用を検討しています。

3.航空機点検におけるドローン活用の効果と課題

航空機は、特に冬場の雪雲等を通過するとき、機体に被雷する場合があります。被雷しても飛行の安全性に影響はないのですが、機体がすこし凹んだりすることがあるので、着陸後の整備の中で被雷痕を探し出し、直ちに修理すべきかどうかを判断します。しかし運航スケジュール上、整備時間が30分程度しかない場合があり、被雷痕点検が追加されると、状況によっては出発の遅延や欠航につながるリスクがあります。
そこでドローン事業化プロジェクトでは、航空機点検においてドローンが活用できるのではないかと考え、2017年の春から夏にかけて、庄内空港で1回、伊丹空港で2回の実証実験を行いました。この結果、約10mの高さから一定の傷は検知できることがわかりました。また、ドローンを全自動運転にすることにより、点検時間中に作業者が別の作業を行うこともできました(図表1)。
図表1 航空機点検の実証実験

(出典)ANAホールディングス株式会社提供

実証実験の結果、ドローンによる航空機点検について3つの課題が明らかになりました。1つめは、ドローンを空港内で飛行させる難しさです。私たちの実証実験の場合、滑走路の脇にある整備場を使ったため、空港の管制官との間で航空機の運航への影響を考慮した調整が必要となり、その調整に約3 ヶ月かかりました。もともとドローンを飛行させるための基準自体がないため、あらゆる状況がリスクとして想定されることとなりました。想定への対処としては相互に納得できる対策を取り、実施をすることができました。2つめは、航空機メーカーとその本社が所在する国の当局の承認です。航空機はオペレーション技術から整備方法に至るまで、ボーイングやエアバス等のメーカー、及び米国であればFAA(連邦航空局)やEUであればEASA(欧州航空安全機関)が規定しているため、現行の整備オペレーションへの影響として、点検を目視に代えて画像とすることの是非等が取り上げられたのです。3つめは、雨や強風の場合のドローンの飛行性能です。私たちの実証実験は屋外で実施しましたが、現在では天候の影響を受けない室内におけるドローンの点検サービスを航空機メーカーが開発中と聞いています。当社としては、実証実験で得た知見を、他社が提供するサービスの選定や運用に活かしていければ良いと考えています。
また、私たちは5-10年後には傷の判断を自動化することを念頭にしていますが、人による目視の判断と同等といえる精度を確保するには、より多くのデータが必要です。その上で、航空機メーカーと協議していく必要があります。
先ほど、ドローンを活用した航空機点検はANAの整備部門に引き継いだと言いましたが、引き継ぐことができた要因には、ドローンプロジェクトのメンバーに整備士が入っていたことが大きいと思います。当然私たちも、プロジェクトの当初から現場部門を巻き込む意識は持っていました。そのためプロジェクトの計画や成果は整備部門に共有していましたが、整備部門がそのメンバーを通じて、プロジェクトの経過も共有していたことが、ドローンの導入に対する理解を促したのではないでしょうか。どちらの側から見ても、現場への実装という出口を意識して取り組むことは重要だと思います。
なお現時点では、引き継ぎのフェーズやデジタル・デザイン・ラボのプロジェクト期間を社内ルールとして規定しているわけではなく、ケースバイケースで実施しています。新規のプロジェクトは試行錯誤の連続であり、その中で事業部門への移管という出口が見えてくるようなイメージです。また、今のところ引き渡しに至った実績が少ないのも事実ですが、中止されたプロジェクトもありません。今後、取り組みを重ねて体系化されていくでしょう。
とはいえ一般に、既存の事業部門では、社内業務やお客様向けサービス、そのための体制等が既存業務向けに最適化されており、新しい業務を取り入れる余地が乏しいものです。当社も例外ではなく、一時はドローンによる航空機点検の移管が行き詰まったこともありました。しかし、そのタイミングで整備部門の中に新規事業に取り組む組織ができ、この組織が受け皿になることによってうまく引き継ぐことができたという一面もあります。逆に言えば、そうした出島のような組織が必要なのかもしれません。

4.イノベーションを創発するデジタル・デザイン・ラボ

デジタル・デザイン・ラボは、現在ANAホールディングスの組織ですが、元々は事業会社である全日空のデジタル推進部の下の1グループでした。発足当初は3名でしたが、徐々にメンバーを増やして2019年4月現在では14名の体制です。メンバーは基本的にANAグループの社員で、人事配置としての異動と公募による異動の2パターンがあります。また、様々なバックグラウンドの社員を集めていて、キャビンアテンダント、元ボーイングのエンジニアといった転職者のほか、昨年はJAXA(宇宙航空研究開発機構)からの出向者もいました。男女比は概ね半々です(図表2)。
図表2  ANAホールディングスの組織図

(出典)ANAホールディングス株式会社提供

組織としての特徴は、マネジメントスタイルがピラミッド型ではなくフォロワーシップ型である点でしょうか。ピラミッド型の既存組織へのアンチテーゼとして、不確実な状況下であっても前進することを前提にした組織です。ピラミッド型はエアライン事業のように、強いリーダーシップの下、計画をしっかりと立て、リスクを排除して確実に目標達成するのに適している一方、リーダーの能力が組織の限界となる面があります。フォロワーシップ型は、メンバーの内発的な動機を重視し、経営ビジョンに合っていれば多様な取り組みを許容する組織です。また、相互の助け合いを促すようにチームビルディングしています。2つのタイプはどちらが良いということではなく、業務特性に対する向き不向きの違いだと考えています。
体制の拡大に伴い、取り組むテーマも増えています。テーマが形になりそうだと判断されるとプロジェクト化されます。先に紹介したアバターのほか、宇宙事業化プロジェクトも手掛けています。個別プロジェクトとしては、「赤ちゃんが泣かない飛行機」や「乗ると元気になる飛行機」といったプロジェクトもあります。0 ~ 2歳児を持つ家族は飛行機を避けがちだというデータがありますが、赤ちゃんの号泣を予知するアプリがあれば事前にあやすことができますし、長時間のフライトであっても、ヘルスケアやマインドフルネスによって体調を良好に保つことができないかと考えています。
こうした事業のアイデアは、プロジェクト内でブレーンストーミングを行い、仮説を立案することから始まります。次に現場に赴いて現状を見聞きすることで、仮説をブラッシュアップしていきます。デモ等を行ってサービスのイメージを見ていただくと、住民から具体的なアイデアをいただけることもあります。課題を探すためには、現場に足を運ぶことが重要だと考えています(図表3)。
図表3 現場での検証活動の様子

(出典)ANAホールディングス株式会社提供
各プロジェクトのメンバー構成は、取り組み内容によって様々です。ドローン事業化プロジェクトの場合、組織横断的なメンバーで、パイロット、整備士、システムエンジニア、ディスパッチャーなど本業とは別に兼務発令をして、メンバーが集まりました。既存業務を持ちながらドローンプロジェクトに参画する社員は、月間数時間をプロジェクトのために使っています。もちろん、組織の事情で参画ができない場合もありました。また、航空機点検の実証実験では、ドローンの運航と撮影のために専業の企業から協力を得ました。その他のプロジェクトも、外部の専門家やスタートアップと協業しています。もともと航空会社としては研究開発の部門がなく、課題を解決する技術を探し、協力を得ていく必要があるのです。そうした外部の協力者との接点を作るために、イベント等人が集まる機会を通じてそのコミュニティに参加し、人脈を構築することもあります。また、こうした取材の記事を目にした方から連絡をいただくこともあります。
新しい取り組みは成果が出るまでに時間がかかることもありますが、設立3年の中では、トップのイノベーションに対する理解の下、すぐに成果が求められたわけではありませんでした。重視されているのは、やってみること、行動することです。事業上の収益としての効果はまだでも、新規性、革新性にはこだわり、メディアに取り上げていただくことで、社内外から認知されたり評価を得たりしています。

5.Society5.0の実現に向けて

各地に足を運んでみると、地方では過疎化や高齢化、それによる買い物難民等の課題が顕在化していることを実感しました。今後は社会的弱者をサポートする側の人口も減少するので、そうしたサポートを持続可能な形にするには、いかにしてコストや人の手をかけないでサービスを実現するかを工夫しなくてはなりません。離島へ物資を輸送する実証実験では、5kmの輸送にかかる船の燃料費とドローンの電池代では500分の1の差が出ることがわかりました。この点で、ドローンは世の中を救うインフラの1つになれると考えています(図表4)。民間事業者としては事業の採算性も不可欠ですが、私たちは、地方で社会課題の発見と解決の実績を蓄積し、都市部または海外でサービスを拡大して利益を上げるという両立の仕方があるのではないかと考えています。
図表4 物資輸送用のドローン

(出典)ANAホールディングス株式会社提供

また、仮説検証等のために現地の調査を行う際、地元自治体の協力を得ることは不可欠です。実際に訪問した自治体の職員は、我々の取り組みに対して大変協力的で助けられました。例えば、検証に適した現場の紹介や、現場の住民へ我々の取り組みを説明するだけでなく、現地へ同行や道路の使用許可、公民館の手配等にも配慮していただいたことがあります。ドローンに関しては、道路をまたいで飛行する場合は看板を立てる義務があるのですが、私たちは長期滞在できないため職員の方の支援を受けました。自治体の職員と一緒に取り組んでいると住民に安心していただけるので、業務が円滑に進みます。それだけでなく、これまで接した地方の行政職員は、地域の事情や住民の課題にとても詳しくて驚きました。まだ訪問していない地域についても、当該地域の課題を教えていただくことができれば良いと思います。メディアの報道を見てご連絡くださる方もいましたが、全般的には教わるきっかけがないのが実態です。
国との関連では、国交省だけでなく総務省並びに経産省の職員にも相談するのですが、皆さんから新しい取り組みに対して前向きな機運を感じます。政府方針も背景にあると思いますが、今のドローンプロジェクトは追い風だと思います。
ANAホールディングスでは、中期経営戦略の中でSociety5.0の実現に向けて4象限のマトリクスを描いています(図表5)。領域の区分として、エアライン版(既存)の領域とANAグループ版(新規)の領域の2つ、そこで営むサービスや商品等の区分として、既存の形態と新規の形態の2つです。ドローン事業化プロジェクトを始めとするデジタル・デザイン・ラボが属するのは、新しい商品により新しい市場を創出する象限です。次世代の乗り物に即したイノベーションに向けて、取り組みを加速していきます。

図表5 Society5.0の実現に貢献

(出典)ANAホールディングス株式会社提供

保理江 裕己(ほりえ ゆうき)
2009年4月ANAに総合職技術職として入社。
パイロットの運航手順を作成する運航系技術業務の後、航空機整備の技術企画業務、2016年7月よりANAホールディングス デジタル・デザイン・ラボに異動。
現在は、ANAドローン事業化プロジェクトをリードし、ANAグループにおける新たな事業ドメインの創出に挑む。