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2019.06.10

2019年06月号特集 英国政府におけるアジャイル手法の活用―GDSにおけるアラン・プランケット氏の取り組みを題材として―

一般社団法人行政情報システム研究所
研究員 松岡 清志

英国におけるデジタルサービス改革は、ガバメントデジタルサービス(GDS)を中心として進められ、GOV.UKウェブサイトの構築をはじめとしてその成果が結実しつつあることは広く知られているところである(※1)。英国ではより良いサービスの整備、運営を行うための基準を示したサービススタンダードを策定して、サービスの提供主体の取り組みへの支援がなされているが、この中ではデザイン思考の要素が色濃く反映されている。具体的には、ユーザリサーチの実施によるニーズの理解、多様な主体による協働、試行錯誤を通じた継続的な改善、首尾一貫したサービスの提供といったものが挙げられている。さらに、これらを体現するために、ユーザからのフィードバックへの対応を容易にし、速いペースで繰り返し改善する手法として、アジャイルの活用が謳われている。英国政府は、アジャイルの主要原則は(1)ユーザニーズへの注目、(2)繰り返しのサービス提供、(3)サービスの運営チームの継続的改善、(4)短期間での失敗からの学習、(5)継続的な計画策定であるとしており、アジャイルを実践する際の原則やツール集、ガバナンス手法についてのドキュメントの整備も行っている。

実際に、英国政府では、永続委任(※2)の登録手続や、裁判費用の支払手続の構築など様々な事例でアジャイルが活用されているが、本稿では、GDSおよび教育省が手掛けたジェンダー・ペイ・ギャップ(GPG)プロジェクトについて、同プロジェクトを主導したアラン・プランケット氏の寄稿記事を基に、アジャイル活用のプロセスと、アジャイルを用いてプロジェクトを進めた経験から得られた、アジャイルを効果的に進めていくためのポイントがどこにあるかを紹介する。

(※1)英国におけるデジタルサービス改革の取組については、本誌20156月号「デジタルガバメントのグローバルリーダー・英国の新たな挑戦」、20164月号「英国における政府CIO制度の見直し」、20184月号「英国政府GDSが牽引するデジタル改革」を参考にされたい。

(※2)本人が高齢や病気、事故などで判断ができない場合に、第三者の代理人に判断を永続的に委ねる制度。

アラン・プランケット(Alan Plunkett)コンサルティング企業であるカラカ社のCDO(Chief Digital Officer)。ロンドンを拠点に活動しており、GOV.UKでのGPGサービスの提供を主導している。
地震工学や管理会計に関する研究を行っていたが、25年前より戦略推進やプログラム変更を主導している。最近の専門領域はデジタル戦略、アジャイルでのソフトウェア開発、組織デザインとマネジメント、戦略推進。

1.GPGプロジェクトにおけるアジャイル手法の活用

(1)GPGプロジェクトとは

GPGプロジェクトにおけるアジャイル活用について紹介する前段階として、そもそもGPGプロジェクトとはどのようなものであるかについて解説する必要があろう。

GPGとは、組織における男性と女性との平均賃金(時間給)の格差を示すものである。英国では、250人以上の社員・職員を擁する約1,050万の組織において官・民・非営利を問わず報告が義務化されており、2018年のデータでは男性が1ポンド稼ぐのと同じ時間で女性は83ペンスしか支払われていないことがGOV.UK内の「GPGサービス」ウェブサイトで公表されている(図表1)(※3)。

図表1 GPGの格差

 

(出典)プランケット氏提供

英国政府では、このような賃金格差の解消が超党派のイニシアティブとして進められており、6つの解決策が提示されている。しかしながら、このような解決策を採用する際に重要なのは、いかにエビデンスに基づいた行動をとるかであり、そのためには賃金格差の現状について把握することが不可欠であった。そこで、上述した集計データだけでなく、個別の組織のデータ、組織規模・分野ごとのデータについても掲載しているGPGサービスのウェブサイト(以下、「GPGウェブサイト」とする)を改善することで、GPGの正確な可視化と人々の現状理解を促進しようとしたのである。

(2)GPGウェブサイト改善プロジェクトから得られた留意点

多様な主体の賛同と資金援助を得て20169月に開始されたGPGウェブサイト改善プロジェクトの大きな目的は、前章で述べたように、GPGの正確な可視化と人々の現状理解の促進であると明確に打ち出されていたものの、この目的を達成するための具体的な方法については全く未知の状態であった。このような未知の状態から、改善方法を導き出すための構造やマインドセットを作るために、アジャイルを活用した。また、今回のプロジェクトに限らず、GDSがデジタルサービス改革を進める際に、スコープの肥大化、予算超過、納期の遅延や品質の低さを回避したいとの考えを持っていることも、アジャイル活用の要因である。

以上のような背景に基づき、人種、性別、年齢、文化の異なる様々な専門家をアジャイルチームに巻き込みプロジェクトを進めていった。プロジェクトでは、実際に開発を行うスプリントのサイクルを2週間ごとに回している。このサイクルの中で今やるべき重要事項を確認することによって、チームがやるべき事項であるバックログの優先順位づけを行いつつ、問題となっている箇所を逐一確認するやり方を採用した。各スプリントでは、ユーザリサーチを行い、検討すべき項目として、報告対象者の範囲、報告を促す方法、データを保護する方法、データの意味の示し方、そして最終的な目標である賃金格差の縮小のための方策などが浮かび上がってきた。これらの項目について検討を重ねると共に、ユーザリサーチの結果を踏まえてプロトタイプを作成し、ユーザビリティテストを行って改良を加えるという作業を行った。

このプロセスの中で特に重視したことを以下で紹介する。

①「見る~聞く~話す」の流れ

プロジェクトにおいては、他者を見て、意見を聞き、そのうえで自分の考えを話すという流れをとった。最初の「見る」段階では、サービスの利用者をはじめとする様々な人に、今どのようなことが起こっているか、どのような感情を抱いているか、なぜそのような感情を持つに至ったのかについて問いかけを行った。次いで「聞く」段階では、彼らの考え、感情、ニーズについて聞き取りを行った。最後の「話す」段階では、これまでの調査結果を踏まえて、チームの考え方、意見を伝えた。

これら一連の流れを踏むことによって、人々の状況に十分な注意を払わないことで誤った方向へと進むことを回避するとともに、新たな発見につながる証拠を得るというメリットももたらされることとなった。したがって、「見る~聞く~話す」訓練を行うことは重要であると考えている。GPGプロジェクトにおいては、プロジェクトを円滑に進めるための責任者であるスクラムマスターがこの訓練をチームメンバに対して行い、アジャイルを進めるためのマインドセットの形成に寄与した。

② 「私(Me)・私たち(Us)・こと(It)」のバランス

上述した「見る~聞く~話す」の流れを通じた対話を行い、より創造的で生産的になるために必要になってくるのが「私(Me)・私たち(Us)・こと(It)」がバランスのとれたものになることである(図表2)。それぞれが何を指すかについて、具体的に考えてみると、

・私(Me):自分自身がどう考えているのか、仕事をより良く行うため/家族のニーズを満たすために自分に何が必要なのか

・私たち(Us):問題解決のために協力しているか

・こと(It):自分が何をやらなければいけないのか

実際の日常生活を考えてみると、「こと」に85%の時間を費やしがちであるが、この状況を改善し、三者がバランスのとれた状態とするために「私」の時間を極力確保することも必要である。また、アジャイルを進めるうえでは「私たち」に重きが置かれており、一人ひとりが意識して他者と繋がり、「見る~聞く~話す」の機会を維持するのに、スプリントを回す際に進捗状況を確認し、どのように変える必要があるかを考えるために毎日行うミーティングであるデイリー・スタンドアップが大きな役割を果たす。

図表2 「私(Me)・私たち(Us)・こと(It)」のバランス

 

(出典)プランケット氏提供

③各スプリントでの価値追加

プロジェクトには複数の利害関係者が存在する場合が多い。GPGプロジェクトにおいて、まず想定される利害関係者は、より充実した役割で就職/復職したいと考える女性である。しかしながら、利害関係者は女性だけに留まらず、企業の株主、ひいては男性やコミュニティも含まれる。プロジェクトチームが本プロジェクトによってもたらされる政治的、経済的、社会的価値すべてを測定することは困難ではあるが、各スプリントで新たな価値を付加できるように留意している。

具体的には、雇用主による毎年の報告の提出状況、および提出のしやすさや安全性に関する雇用主の評価、さらに賃金格差データの意味についての理解といった指標を設定し、測定を行っている。また、プロトタイプの作成とユーザビリティテストの実施、場合によっては現行サイトの改良後に、Googleのログやトランザクションの追跡を行いユーザの行動の変化を観察し、目的の達成に向けて我々の活動が正しいものとなっているかの確認を行っている。

④考え方の変更の許容

目的を達成するために、今の考え方を変えることは全く問題ない。むしろこのことがアジャイルの神髄である。前項で触れた、スプリントごとに付加価値を測定することは、考え方を変更するための手助けとなるとともに、エビデンスベースの決定を強化し、バックログの優先順位づけの変更に対する抵抗を和らげることにも役立つ。

実際にプロジェクトを進めていく際には、時として予想外のことを発見してどのようにすれば良いか判断に迷うような事態が生じうる。そのような場合には、より深掘りした調査を行い、テストを行えば良いのである。GPGプロジェクトで最も驚くべき発見となったのは、雇用主が提出しているGPGのデータが人々のニーズを満たすように咀嚼して提供されていないため、データの意味をほとんどの人が理解していないことであった。このことは本来の目的である、賃金格差を埋めるための行動をとろうとする際に阻害要因となるものである。多言語対応や関連するコンテンツへのリンクをより広範に貼ることで現状をより多くの人に理解してもらうことで、賃金格差の解消に向けたアイディアの創出につなげ、より効果的な目的達成に努めようとしている。

⑤80:20の法則に基づく価値の創出

成果の8割は全体の2割の要素でもたらされるという、いわゆる「8020の法則(パレートの法則)」は、アジャイルの活用において悩ましい問題である。プロジェクトを進めるにあたって、「8020の法則」に基づく、あるいは「実現可能な最小限の成果」を得るためにバックログの優先順位づけをどのようにするかはいつも問題となる。また、成果をすぐ出すことと、より望ましい成果を出すことのバランスは難しいところであるが、場合によっては時間をかけてじっくり取り組むほうが良い場合もある。GPGプロジェクトにおいては、男女の賃金格差の割合をどのように表現するかについて時間をかけて検討し、結果的にはポンドとペンスに換算して表示することとした。このことは表面的には小さな変化であるものの、ユーザのより良い理解という大きな価値を得ることができた。

⑥チーム内および顧客との協働

アジャイルでは様々な人々との対話が重要になることは既に述べた通りであり、チームメンバのみならず顧客と繋がることも重要である。アジャイルでのソフトウェア開発では、契約交渉を通じた顧客との協働が原則とされている。顧客は問題の解決方法を知っているわけではないので、課題及び解決策を発見し繰り返し改善していくプロセスの早い段階から巻き込む必要がある。GPGプロジェクトでは、政策、法律、政治、コミュニケーション、財務といった幅広い人を含む協働型ワークショップセッションである「collabs」を各スプリントで企画し、実践している。

⑦失敗可能性の予見

プロジェクトを進めるうえで、失敗する可能性があることを事前に予見し、万が一の事態が発生した場合に備えて、冗長性を追加することを考慮しなければならない。これは、スプリントを経るごとに付与してきた新たな価値がすべて失われ、振り出しに戻ってしまうことを防ぐ点でも有用である。

GPGプロジェクトにおける究極の事態とは、トラフィックの急激な増加によるウェブサイトのクラッシュである。このような事態を防ぐために、何らかの負荷がかかった際にはすぐにサーバをスケールアップできる柔軟性を備え、冗長性およびコア部分の安定性を組み込んでいる。実際、雇用主からのデータ提出は年に1回だけであるため、3月末が最もトラフィックが少ないと予想していたが、実際には図表3のグラフのように、最後の数週間で提出が急増し、特に最終日には全体の15%が集中した。

図表3 GPGデータの提出状況

 

(出典)著者作成

このように、アジャイルチームが考慮していなかったような事態が発生することは十分あり得るため、失敗可能性を頭に入れて備えることは重要なのである。

(※3https://gender-pay-gap.service.gov.uk/

 

2.おわりに

GPGプロジェクトにおけるアジャイルの実践を通じて得られた留意点について紹介してきたが、アジャイルの本質は自分たち、およびユーザやその他の様々な利害関係者に何が起こっているのか、そして何をすればうまく行くのかを「学習する」ところにあると考えている。また、自分のものの見方や立ち位置を絶対的なものとするのではなく、他者の考えや感じていることに対して柔軟に反応することができるよう、「軽く」しておくことも必要である。

アジャイルの中心部分である人々との繋がりは精神的健康と幸福にもつながると言われている。アジャイルを進めるうえでの留意点は本稿で紹介した以外にも存在するが、まずは上記の留意点を参考にしていただいたうえでアジャイルを積極的に活用されることに期待したい。